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ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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ジャパンカップ史 その4 90年 油壺

「ジャパンカップ史」というより、「ワタシのジャパンカップ史」になっちゃいますが、続けます。

1990年。個人的には、この頃すでに回航屋の会社を立ち上げていて、やたらに回航していた。

グアムレースもすでに始まっており、毎年グアムレース終了後のヨットを回航するという、無鉄砲でやくざな仕事をしていた。

この頃はグアムレースに出る船とジャパンカップに出る船では顔ぶれがガラっと変わり、住み分けができていたようにも思う。

IORは、88年頃にはすでにかなりの進化を遂げており、「ストリップアウト」なんて言葉に代表されるような極端に先鋭化したマシーンになっていた。耐候性に不安アリ、などと嘆かれていた。IORレーサーでグアムレースなんてとんでもないという状況だったのだ。

……と、そんな中、90年のジャパンカップは10月。油壺をベースに行われた。

ジャパンカップのような選手権試合では、参加艇は同じ条件で1カ所にまとめて海上繋留しなければならない。その為の泊地の確保が、この頃のジャパンカップでは一番の難問だったのだと思う。

油壺は、ご承知のように奥まった天然の良港だが、桟橋は僅かしかない。
沖止めしてテンダーで送り迎えするという方法だったと思うが、これではセールの上げ下ろしやら潮出しやら、何に付けても不便である。
早く帰ってきた船から先に桟橋を独占するという事もあり、不公平感があった。

何より困るのは、台風に左右される事だ。
台風直撃ならまあしかたがない。アキラメもつく。
しかし、漁船の避難港になっている油壺は、遠く南方海上で台風が発生しただけで多くの漁船が避難入港してきてしまう。

爽やかな秋の風が吹いている絶好のレース日和でも、早々と避難してきた漁船で湾口がふさがれ出艇できずにレースは中止。なんて事になってしまうのだ。

オーストラリアの50ft艇、<サイクロン>が遠征してきたのもこの年。通関作業など、弊社で請け負ってサポートしたので、良く覚えている。
わざわざ日本まで来てくれているのに、台風のおかげで満足にレースができず、大変申し訳ないと思ったものだ。

僕自身はダビッドソン44に乗艇。
この年の夏、ケンウッドカップに出た同じ船同じメンバーでの参戦だ。

ケンウッドカップでは、同じダビッドソン設計の1世代新しい艇に勝ったりして、そこそこの結果を残していた。ジャパンカップはその余韻を楽しむような戦いだったと思う。
成績はどうだったか……。マストを曲げた記憶はあるけど……。

ロングのコースは何マイルだったかな? 夜中に神子元を回ったのだけ覚えている。
強風下のスピンランで、ランナー付きの2トナーが夜中にジャイビングしながら本船を交わしていくっての、スリリングというより、無茶ですな。

自己責任でやってくれ、と言われても困る。
by Takatsuki_K | 2008-09-30 10:49 | ジャパンカップ史