大時化シリーズ第2弾 台風
2010年 07月 13日
今回は、グアム島の近くで台風に巻き込まれた時のお話。
シドニー~ホバートレースに出場するため、小網代を出てシドニーまで回航することになったワタシ。1981年。まだ26歳の頃のお話です。
回航スキッパーはロバート・フライ。
今は故郷ニュージーランドに戻って暮らしているようだが、当時は日本国内最強のレーシングスキッパーだった。
ワッチキャプテンは糸賀悟。ワタシの師匠です。今でも現役の強力セーラー。
ロバートはワタシとはそれほど歳は変わらないはずだから、この時彼もまだ20代だったはず。糸賀さんも同じくらいだからやっぱり20代。
後、ワタシより1歳年上の松尾さん。この人はヨットばかりかメカニックのプロでもある。何でも直す頼りになる男。おまけに身軽。走りながらシュラウド交換したこともあるんだから。
そしてワタシより年下が2人。
……の合計6人乗り。
と、その時は極めて心強い回航メンバーだと思っていたけど、今考えてみるとみんな20代なんだよな。若いなぁ。
一番若いクルーは10代だったし。
当時はヨットで海外に行くなんてのはまだ珍しかったんだろうか、出航当日は三崎まで母が見送りにきてくれたと思う。
ここで初めてロバートに合い、
「あら、ロバートさんって、外人だったの?」
と、電話で彼の流暢な日本語しか聞いてなかった母は驚いていた。
「変わった名前だとは思ってたのよね」
と。
そういえば、デザイナーの大橋さんは家に電話をかけてくると、
「バンデシュタット大橋です」
と名乗るので、日系二世の外人だと思っていたらしい。コテコテの名古屋人なんですけど。
携帯電話が無かった当時、ほとんど家に居なかったワタシと連絡を取るのは大変だったみたいで、電話交換手として母にはいろいろ手間をかけてしまった。母ちゃん感謝しています。
もちろんチームの先輩達も見送りに来てくれて来々軒で飲み食いしたっけ。
で、ゲップゲップの状態で送り出された。
船は54ftのマストヘッドリグ。
IORが華奢になる前のゴツイ戦艦大和みたいなアルミ艇だった。だから6人もクルーが必要なのです。
三崎を出て一気に南下するも、海は時化模様。
夜中、ワッチオフで寝ているワタシを糸賀さんが起こしに来る。
「みんなバテてるみたいだからよぉ、サービスワッチしねーか」と。
糸賀さんは、この時初めてこの伝統あるチームに呼ばれた助っ人で、
「一人じゃ何かとやりにくいだろうから、誰か一人子分を連れてきていいぞ」とオーナーに言われたんだそうな。
人間関係の難しさというものが良~く解っているオーナーであります。
で、何でも言うことを聞く一の子分であるワタシが呼ばれたというわけ。
つまり、このチームではワタシら二人はまだ外人でありまして、この時化の中で良い格好しておくのは後々チーム内での自分らの立ち位置というものを定かにするためには重要なわけ。
ロバートにしても松尾さんにしても、この程度の時化でギブアップするようなセーラーじゃないんだけどね。ま、来々軒での送別会はかなりヘビーだったし。
40ノット近くまで吹き上がる。
が、当時のワタシからすれば、この程度の時化はなんてことなく、糸賀さんに至っては、ザブザブ波を被りながらご機嫌で、
「いい風だねぇ~。赤ワインとカマンベールチーズはねーのかよ」
等とワガママを言い出す始末。
ビールと普通のチーズなら、と、冷蔵庫を漁りつつ、
「チーズあったよなぁ」
とすぐ横で寝ていたクルーに聞いたら、
「チーズ? 何言ってんですかぁ。こんな時に」
とあきられた。が、最初はこのくらいカマシておいた方がいいんです。
その後、小笠原でエンジンを修理し、11月15日、いよいよ日本を出る。
当時の航海日誌があるのです。航海日誌というより単なる「日記帳」だな。
こういうのつけておいて良かった。当時はデジカメなんか無いし、この日記だけが当時の思い出だから。
で、今読み返してみると、ゼノア→#2→#3と、やたらこまめにセールチェンジをしている。マストヘッドリグの54ft艇ですよ。ロバートは厳しい。このペースで走るんじゃ、6人乗ってないと無理ですな。
おまけに、GPSはもちろんロランも無い。
11月20日 0600「目覚めればグアムですよ」と松尾さんと話してワッチ交代。なかなかグアムが見えない。
DFの登場。視界が悪い。雨がすごい。
グアムのポートマスターと無線がとれる。午後から天気回復とのこと。
風はだんだん強くなる。
どうもグアムを行きすぎたようだ。
と、日記にはある。
太陽が出ないと位置も出せないわけで。苦労してます。
1200 ワッチ交代。40~45ノット。だいぶ吹いている。
と、ここで、一番若いクルーは寝たきりになったもよう。かわいそうだから名前は出さないけど。元気にしてっか~?
1330 デッキに出てみると、マイッタゼ!!
海面はスプレーで真っ白、ワァーオ。
トライスルを揚げるのも難しいだろう。と言ってる間にメインブレイク!!
嫌でもトライスルを揚げる。
ボルトロープも通らないし、通ったら通ったでシートがペデスタルにからまってどうしようもない。ペデスタルがグラグラゆれている。今にももげそう。松尾さんが必死で外す。クランクしたとたんターニングブロックのスナッチブロックが吹っ飛んで糸賀さん顔にケガ、ダウン!!
風速67ノット。ワァー。台風だ!!
と、こんな状況でよくもまあ日記書いてるなあと思うけど。
状況を説明すると、
日本を出る前にマストを新調した。細めのマストでよりセールコントロールをしやすいように。
ところが、グルーブの径が微妙に違っていて、以前からあったストームトライスルのボルトロープよりわずかに狭くなっていた。
キツイところを無理してハリヤードで揚げている間に時間を食ってしまい、その間遊んでいたシートが強風で暴れペデスタルウインチのポストに絡まってしまったというわけ。
67ノットの風は暴力的だ。風になびいてばたばたさせてしまうと、近寄ることさえできないくらい。すぐに大きな玉状に絡まってしまい、そうなるとウインチで引くに引けず、絡まりを押さえ込もうにも大男がむしゃらに繰り出すパンチのようなもので……と、非常に危険な状況になってしまった。
なんとかほどいて処理したと思ったら、ウインチで巻き上げたとたんにターニングブロックが粉々に分解してその破片が糸賀さんの顔面を襲ったというわけ。片眼が腫れ上がり、救急車を呼びたいくらいの状況だ。
風はますます上がっていく。どうやらすぐ近くで台風が発生したもよう。
この時の海況をもう少し思い出して書いてみる。
風は「ビュービュー」ではなく、「バアアアアン」と塊で押しつけられるような感じ。
雨が降っていたかどうかは、実はよく覚えていない。絶え間なく波しぶきが襲ってくるので、雨と波しぶきの違いが解らないのだ。
波は、日記では「大ーきい」と書いてあるけど、波の大きさはあまり記憶に強くない。波の大きさに「怖さ」は感じなかった。
すべての波頭が砕けて波しぶきとして空中に充満しており、海面と空中の見分けが付きにくい。
この海況を乗り切る方法はいろいろあるのだろうが、この時ロバートが取ったのは、
ストームトライスルとエンジンを使って船を波に立てる
という方法だ。
その前の状況で正確な船位を確認できていなかったので、なるべく同じ場所に留まりたかったんだろうと思う。
ところが、波しぶきの勢いがすごくて、波の方向(風上)に向かって目を開けていられない。
そこで、ヘルムスマンの前に3人が後ろ向きに並んで立って波よけになり、その隙間から波を見ながら舵を当て、必要ならエンジンを吹かして波を乗り越える、という方法をとっていた。
日記によれば、
1530ごろ なんとかトライスルが上がる。これからはひたすら走るのみ。風上にむかって目を開けていられない。
3人が立ってヘルムスマンをガードしながらの走り。波はくせがあまりないが大ーきい。
「あ、ヤバイの来たぜ」とロバート。
ひたすら走る走る。
波よけの3人は後ろしか見えていないので、ヤバイ波が来るとヘルムスマンの合図に合わせて身構える。
船が波に突っ込むと、腰のあたりまでドドーっと海水が押し寄せてくる。
と、書くと凄そうだけど、寒くなかったので別に辛くはなかった。
艇長のロバートとしては「この走りでいいんだろうか?」とハラハラしていたのかもしれないけど。ワタシとしてはロバートのことを100%信頼していたので何の不安も無かった。ロバートが言うなら間違いないだろう、と。
でもまあ、今考えてみれば、20代の若造の集まりなんだけど。
苦労は若いときにしろってことですかね。
そのうち風が弱まってきたというか、こちらの方がその状況に慣れてきたんだと思うけど、ヘルムと波よけ1人を残して交代で休むことに。
やがて本当に風は落ち、それでも曇っている限り天測はできないので、グアムがどこにあるのかも良く解らない。しかし米海軍のレーダーで我々のことはずっと補足していてくれたようで、無線でグアムの方角も教えて貰い、グアム、アプラハーバー入港。
米海軍様。その節はありがとうございました。
追記1:
この時以来、出航前にストームトライスルやシートのリードの位置などは必ずチェックするようになった。いざとなると限られた動作しかできなくなるので物と心の準備は重要です。
追記2:
一番重要なのはスキッパーへの信頼、かな。
この時、糸賀さんは顔面パンチを食らってダウンしていたわけだけど、あの人ならいざ手が足りなくなったら片眼しか使えなくてもデッキに出てきただろうし。いや、実際すぐに復帰してきたし。何か顔にタオルを巻いた姿を自身でも気に入っていたようであった。
追記3:
「逆ジブ張ってティラーをめいっぱい切ってヒーブツー」なんて記述をよく見るけど、上記の状況でそんなことできるかな? と思う。
風の強さのみならず、海況や船の性格、風下側に陸地があるのか否か、などヨットが置かれた状況はすべて違う。対処の仕方も千差万別で、しかしそれぞれ1つの方法しか試すことができず。もっと良い方法があったのかもしれないし、遭難しなかったんだからそれが最良の方法だったともいえるし。遭難したからといって、別の方法ならもっと最悪だったかもしれないし。
荒天帆走の答えは永遠に出ないんじゃないかなと思う。