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ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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その15 2005年~2009年

さて、今日(8月10日)は、2010年度のジャパンカップの第1レース。12時スタートとのことなので、今頃は各艇ワクワクしながらスタートを待つところか。

ヨットレースというのは、スタートラインに着くまでが一苦労で、特に選手権試合となるとひとしお。この緊張感はジャパンカップならではのもので、毎月のクラブレースでは味わえないものだ。やはりジャパンカップは存続させなければならないと思う。

で、過去を振り返る……

2005年 蒲郡

22隻のIMS艇を集めて9月に開催された。

98年に中部開催がスケジュールされたが、参加艇不足のために中止になっている。アナウンスが遅かったのかなんなのか、残念なことだ。
ということで、この年、初めての関東、関西以外での開催ということになった。

すばらしい泊地。レース海面まではちょっと遠いが海面そのものはインショアレースをするのにまったく問題ない。
が、三河湾の奥深くにあるので、オフショアコースを設定するのが難しい。
伊良子水道を越えて五カ所の方まで、往路約50マイルがショートオフショア。そこから帰ってくる復路を含めた往復約100マイルがロングオフショアということで、全8レースが組まれた。無風の為1レース不成立になったがロングオフショア含めて、スケジュールは難なく消化された。

優勝はスレッド(farr47)。2位から3位まではGS42R。細身箱形船形全盛時代に、スレッドの優勝はなかなかのもの。

蒲郡は、関東、関西の中間にあり、ミドルボートサイズの艇でも回航が容易。全日本クラスの選手権を行う適地だと思う。
そして、こうして前後を振り返ってみると、かなり盛り上がった大会だったといえるのではなかろうか。
ちなみに、JSAF東海のホームページも、キッチリまとまっていて見やすくて、好感度大。


2006年 小網代(シーボニア)

9月、IMS18艇を集めて行われた。
クラスA、クラスBに分かれていたが、総合上位はすべてクラスA。

3連覇を目指す〈スレッド〉(farr47)を押さえて〈セレッソ〉(B&C49)が優勝している。

クラスBでは、〈光風〉(ファースト40.7)がダントツの優勝を果たしているが、なんとなく陰が薄くて気の毒な感じ。
この回、GS42RはクラスAだったが、翌年にはクラスBになっていたりとクラス分けの基準はハッキリしていない。ジャパンカップ・クラスBの存在感を増す為には、単に参加艇を艇数で半分に分けたというのではなく、「ミドルボート」という普遍の規格が必要だろうと思う。

木曜日から月曜日(祝日)までの5日間。夜にはフィニッシュできるオフショアレースを入れて全部で8レース消化している。

ディスマストも出るような強風のシリーズであり、これはこれで運営は苦労したと思うが、キレのいい運営で多いに盛り上がった印象がある。


2007年 西宮

この年も8月に開催。13艇を集めて行われた。
35マイルのショートディスタンスを含めて全16レース!! 5日間でこんだけって、どんだけ!!

参加13艇は、クラスA、クラスBの2つに分けられ、見所はクラスBのGS42R軍団なんだろうけど、総合順位はクラスA、クラスB入り乱れており、こういうのって、記事書くの大変なんですよね。ポイントをどこに絞ったらいいものか。
で、筆者の友人、今津浩平氏が書いてるんですが、たった2頁ってのはどうなんだろう。さらに書くのが難しい。

そして総合優勝は、クラスBの〈シーホーク〉(GS42R)。シドニー五輪日本代表の浜崎栄一郎が舵を持ち、久々のジャパンカップ優勝。ここまで、惜しいところで優勝を逃している姿を間近で見ているので、この優勝はどんだけ嬉しいか、想像に難くない。
そして世良直彦オーナーはこの後病に倒れ急逝されるわけで……。


2008年 蒲郡

9月 15艇を集めて行われた。

この年から、IRCを採用。
IMS(ORC-Iに名称は変更されているが)部門も設けていたが、エントリーが1艇のみということで、IRCのみが成立している。

インショア6本とオフショア1本。
オフショアはやはり五カ所の湾口まで行って帰ってくるオーバーナイトのコースだったが、台風の接近により、40マイルのコースタルレースに変更されたものと記憶している。
(直接見に行ってないので分からない。舵誌の記事にも書いてない)

クラスAでは〈スレッド〉(TP52改)が優勝。クラスBでは〈サマーガール〉(ファースト40.7)が優勝。
舵誌の記事を読むと、帆走指示書では両クラスにジャパンカップが授与されるとあったのに、結局は総合優勝の〈スレッド〉にのみジャパンカップは授与された、とある。

そういえば、ジャパンカップというのはどんなトロフィーなのか? ワタシも一度は獲得したことがあるはずなんだけど、よく見なかった。今度しっかり確認しておこう。クラス優勝のカップというのは存在するのか?

さてここで、〈スレッド〉は3度目の優勝。
いずれも、大型艇の先行逃げ切りというもの。
端からは楽勝に見えるが、乗ってる方はこれはこれですごいプレッシャーなんだそうな。
で、2007年西宮での〈シーホーク〉の優勝もすごいなぁと思うし。
これだけサイズの違う艇でのハンディキャップによる選手権試合というのは、走っているほうも難しいし、記事にするのも難しいのです。


2009年 小網代(シーボニア)

ご承知のように、大会前に直撃した台風により泊地が壊滅的な被害を受け、中止となった。



こうしてみると、97年以来、ジャパンカップは西宮を中心として、後は持ち回りで開催されているといってもいいくらい。
筆者は自分で参加した97年以来、西宮には取材にも行ってないのでレースがどんな状況で行われていたのかは良く分かっていないのだが、どうやら「西宮のジャパンカップ」というスタイルは確立されているようだ。

で、今年は取材に行けというGOが出た。
マレーシアに住んでいるワタシにですよ。わざわざ国際線の飛行機に乗って、取材に行かせて貰える。ありがたいことです。
経費削減の為、中国東方航空、上海経由関空行きという、なんかヤバイものではありますが。無事に着けるのか、俺。

そのうえ、なんと8頁を予定しているそうな。これ、過去最大級の扱いなのでは?
ということで、過去のジャパンカップ史を振り返ってまとめておきたかったんです。

明日夜、こちらを経ちます。
ちょうどレース艇がオーバーナイトインショアを走っている間、ワタクシ、中国東方航空機中の人ということになります。
by Takatsuki_K | 2010-08-10 10:00 | ジャパンカップ史