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ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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北の国から、ヨット界

テレビドラマ、『北の国から』を見た。
何を今更? と思うかもしれないけど、これまで一度も見たこと無かったんです。話題になっていたのでその存在を知ってはいたんだけど。
それが今になって、ひょんなことから見始めたら、連続ドラマから特番と、『2002遺言』まで全部見ちゃった。

物語の発端は1981年。東京での暮らしに疲れた黒板五郎(田中邦衛)が、幼い子供2人を連れて、故郷である北海道富良野の山の中で生活を始めるところから始まる。
電気も水道も無い粗末な小屋での生活に都会生まれの子供達が戸惑う様子から、都会暮らしに憧れる田舎の人、でも都会の暮らしには溶け込めない。田舎の暮らしと都会の暮らしの違いなんかが大げさに描かれているけど、はて、どうなんだろう?

ワタシ、1955年の東京生まれ。小学校に上がるまでは品川で育ち、横浜の新興住宅街に引っ越した。
まあ、このドラマでいうなら都会育ちってことになるんだろうけど、東急東横線日吉駅から歩いて15分位の地域に於ける1960年代というとまだ周りには畑がいっぱいあって、小学校へ通う道沿いには肥だめもあった。木の棒を突っ込んでは振り回したりして遊んでいた。
近所に牧場もあり、牛舎の隣に何故か卓球台があって無料で使わせてくれるのでよく卓球しに行っていたっけ。
中学への通学路は途中一面の田んぼで、理科の授業でカエルの解剖をやるからといって、班ごとに1匹捕まえてこいなんて言われていたくらい。と、まあ結構な田舎暮らしなわけです。

ここらに住んで東京に通っているわけだから、都会人なんていってもたかが知れてるわけで。富良野の人が卑屈になることはないと思うんだけど、『北の国から』での五郎さんは、東京で知り合ったいしだあゆみが部屋でスパゲッティー・バジリコを作ってくれた事にたいそう感動していた。
でもこれ1970年代中頃ってことでしょ。バジリコなんて、東京でもかなりハイカラな物だったはず。渋谷の高校に通う当時のワタシでも、そんなもの知らなかったと思う。キャンディーズのスーちゃんが部屋で作ってくれたら、やっぱりたいそう感動したかも。
五郎さん、卑屈になることないんです。

逆に、この頃はすでに自然回帰の風潮があったんじゃなかろうか。
背伸びして気取っていた都会人が田舎の生活に憧れだした時代。だから、このドラマが始まったんだろうし。
ワタシもこの頃はキャンピングカー風に改造したバンに住み、日本全国さすらいの生活をしていた。五郎さんの山小屋から比べるとずいぶんと便利で方向性は全く逆なのかもしれないけど、根底に流れる発想は同じだったのかもしれない。

倉本聰のドラマってやたらと浮気や不倫や離婚でドロドロした男女関係が出てくるのでちょっとうんざりするけれど、思い起こせば80年代ってそんな時代だったっけ。とはいえ、なんだか知らないけど娘が都会に出ると水商売につき、やたらと風俗嬢やAV女優に落ちぶれてしまうというのはどうだろう。そんなんばっかじゃないよねぇ。ホントにそうなのか? いやそうなのか。

……と、どうも『北の国から』の田舎感/都会感とはワタシ感覚が合わないなぁ、と感じながらも最後まで見てしまったのは、富良野の開拓者達の姿がヨット界のそれにダブって見えたから。

北海道が良い良いなんていう都会の娘が牧場生活に憧れて富良野に来ても、結局続かずに帰ってしまうと嘆いているシーンがあったけど、そうなんですよね、ヨットに憧れる人はいっぱいいても、実際やってみると結構キツくてなかなか続かない。

加えて、村にはそれぞれナワバリ意識みたいのもあって、都会から来た者を拒むようなところもある。その分仲間の結束は固く、葬式なんかあった日にはパッと集まって自然としきり役が出てきて作業分担も手際がいい。
あー、似てるなぁ。

ワタシなんかはドラマでいえば草太にいちゃん(岩城滉一)の世代になるのかな。この世代はもうすでに先駆者が開拓してくれた後をなぞっていればいいんであって、清吉おじさん(大滝秀治)や笠松のとっつあん(大友柳太朗)らのような開拓者世代は、そりゃもう大変だったんだろうなぁ。
日本のヨット界も、開拓世代は大変だったと思う。日本にはまだ物も情報もなく、手探りでヨットを始め普及させていった世代。外国に行かないと最新の情報は入らないなんてことだってあったはず。
ヨットが欲しいならまずデザイナーと連絡をとって一緒に造船所に行く。完成するまでオーナー自ら造船所に通うなんて時代。
ウインチが無いなら造っちゃおうと、国産のウインチもあったんですよ。ASAHIのウインチ。

マリーナだって少なくて係留場所を確保するのがまず一苦労。修理業者も今より全然少なくて、大抵のことは自分でやらなければならず。それが高じてそのまま業者になっちゃった人もいるわけで。

と、開拓者世代はさぞや大変だったろうなぁと思うと同時に、趣味の世界だから清吉おじさん達と違って生活がかかっている訳ではない。食うや食わずって訳じゃない。結構楽しい苦労だったのかもしれないなぁ等と、日本の30年前位を彷彿とさせるここマレーシアのヨット界にいると感じる訳です。
開拓するぞー。

日本でも大震災を受けて、特に関東から東のプレジャーボート界にとってはこの先再び開拓時代のような苦労が待っているのかもしれず、しかしその苦労を楽しむ余裕があればいいけどなぁと、ちょっと想像してみるわけなんです。
by Takatsuki_K | 2011-04-05 20:24 | 個人的な話