ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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カテゴリ:外洋航海( 12 )

錨泊日記

KAZI5月号の『よろず相談所』、テーマは、
「30ftクルージング艇のメインアンカーは、どんな種類がベスト?」

聞かれてないけど、答えちゃおう。
ニュージーランドで乗っていたのは木造の34ft。
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買ったときにはすでに船齢16年だっけ? 忘れたけどかなり古い中古艇だったが、元々付いてきたメインアンカーは7.5kgのブルースアンカーだった。34ft艇としては一回り小さいサイズだと思うけど、通常はこれで十分だった。さすがにニュージーランドのセーラーが長年乗り回しアンカリングしまくったうえで「これで十分」としたサイズだったということか。

アンカーはステムのアンカーローラーにセットしっぱなしではなく、バウのロッカーに収納していた。というかこのロッカーに入るギリギリサイズが7.5キロだったということなのかもしれないけど。
チェーンとロープは繋ぎっぱなしで使う度にロッカーから出すわけだけど、7.5kgのブルースならバウパルピットの間を通るのでそのままレッコすればいい。パルピットの上からとなると、チェーンかロープを繋ぎ直さなくてはならないので、やっぱりかなりめんどくさくなるはすだ。

アンカーは一回り小さい分、チェーンは10メートル。
大きなアンカーより長いチェーンの方がかさばらないので、どっちかといったらチェーンを長めに、という発想か。
日本の沿岸クルージング艇って、チェーン短いですよね。

魚探を使って水深を測りながら、5メートルからできれば3メートルくらいの浅場まで進んでアンカーレッコ。
水深3メートルならチェーン10メートルでも3倍のスコープでフルチェーンということになる。まあ5倍位出してセット完了。

このあたり、入り江に自艇1艇なら好きなようにできるけど、他艇もいるとスコープを長くすればいいというものでもない。周辺の艇と同じくらいにしとかないと風が変わってふれ回ったときに艇間の距離が変わってしまう。
隣艇がどのくらいアンカーラインを出しているかは、ラインの角度を見るとだいたい分かる。
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これ、似たようなヨット同士だとまだいいんだけど、フルチェーンの大型艇が隣にいると、スイングする距離が違うのでちと困る。
かといって、間を広く空けてると後から他艇が割り込んできてよけい狭くなったりして。

走錨するかどうかより、そのあたりの駆け引きの方が難しいかも。

強風時は、これに15キロのCQRタイプを2連で繋げてレッコしていた。それでも滑るときは滑る。ここでも肝心なのは場所取りですな。
野本先生が良く紹介していた逆八の字に2本のアンカーを打つ方法は、他艇が近くにいるとできないんですよね。だからやったことはありません。

そうそう、風の強弱でバウが8の字に振れているということはアンカーが効いているということです。滑り始めるとバウは斜めになったままになる。走錨しているか否か、周りの景色を見るだけだと意外と分かりにくいので、こんなのも豆知識としてどうぞ。

抜錨時、電動ウインドラス無しはちょっと考えられないなぁ。
古い木造艇なのに、電動ウインドラスは付いていた。7年乗ったけど、一度も壊れていない。見た目かなりオンボロで、ドラムにはチェーンが咬む溝はない。が、チェーンもロープと同じように、ドラムに巻き付けただけで巻き込めるので問題なし。
無駄な物は一切無いのに、電動ウインドラスは付いているというあたり、前のオーナーは分かってらっしゃるという感じ。
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以上、昔の話ですいません。
日本はゴールデンウイーク。クルージングに行っている方も多いかな。錨泊をお楽しみ下さい。

わたし? 最近、クルージングしてないなぁ。
レース中に風が無くなってアンカリングはしたけど。
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by Takatsuki_K | 2011-05-03 18:18 | 外洋航海

氷の寿命

『KAZI』2011年4月号の「よろず相談所」記事を書かせていただきました。
テーマは、食料の備蓄。
クルージングと一言でいっても長短さまざまあり、話が絞りにくいのですが、ここでは「連休をフネで過ごす場合の……」ということでした。
まあ、連休クルージングだと、夕食は陸に上がって地元のお店で海の幸を堪能ってことになるんだろうから、フネで食べる食事はオマケなのかな? いや、走るフネの上で飲み食いするのもまた楽しいですよね。

そういや昔、太平洋横断中に氷が1週間くらい保ってえらく重宝したなぁと思い出したんだけど、はて、何日保ったんだっけ? 記事にするなら正確に書かないとと思い、航海日誌を探したんだけどこの時の航海のものは見つからず、書くのをあきらめました。

その後、というか3日ほど前に、自宅でヨガをやっていて、グリーっと体を伸ばしたときに目の前の本箱を見、おや?と気づいた1冊のノート。おっとこれは……。突然そのときの航海日誌が出てきたわけで……。

    ※   ※   ※

1991年。4回目のハワイ→日本の航海で、スワン59という豪華なクルージング艇。日記を見ても、準備の段階から余裕ですね。

買い出しは細かなリストなんぞ作らず、メモを元に量は勘で。もう毎年のようにこのコースを走っていたので、だいたい想像がつく。
コツは1度ですべて終わらせようとしないこと。何度かに分けて、買ってきたものを艇内に整理していきながら、足りない物をメモしまた買いに行くと。
帰着後食料が大量に余るとヨットを降りた後もそれを食べなきゃならなくなるので、量は必要最小限に留めてますね。
ま、ケチってことか?

……と、食料の積み込みは慣れたものだったのですが、この艇には立派な冷蔵庫と冷凍庫がついていたんです。なんたってスワン59ですから。
さて、どうするか。初の試みとして、冷凍食品なんか買い込んでみちゃう? と悩んだ末に、このてのものは信用しないことにしました。
といっても完全に無視するのももったいないので、冷凍庫には氷を大量に詰め込んでいくことに。アイスキューブというんですか、そのままコップに入れられるサイズのやつ。アメリカだと、枕くらいの大きさのでっかいビニール袋に入って売ってますよね。あれ。あれを冷凍庫に入るだけ詰め込んで、いざ出港。

6/22 1030 ハワイ ケイヒラグーン出港 -------------
長距離航海では、夕食は全員揃って食べ、食べ終わったらワッチ交代することにしています。その時、ぬるいビール(ぬるビーと呼ぶ)をありがたく飲んでいたわけですが、今回はここで氷入りのカクテルを飲むなんて、なんたる贅沢。

ところが……。

6/24 フリーザー壊れる -----------------------------
なんだよまったく。2日でこれか。
やっぱり冷凍庫なんて信用しなくて良かった。
まあ、氷が溶けるまでカクテルを楽しもう。
ということで、航海日誌を見ると、オリーブ入りのマティーニだとか、タバスコ生ライム入りのブラッディマリーだとか、なんかいろいろ材料を買い込んであったようで、おまえらマジメにフネ走らせろよ、という感じ。トロピカルドリンクなんて流行っていたの、この頃だったっけ?

その後、

6/27 パンはあまり長持ちしない。もうかなりカビがはえてしまった。氷はまだ元気がいい。---

なんて記述があり、

7/1 日付変更線通過 --------------------------------

そして、
7/4 とうとう氷が完全に無くなった ------------------

出港から12日めですね。冷凍庫が壊れてから10日ということですか。

そしてその後、

7/15 0840 小笠原 二見港入港 ---------------------
 ハワイ→小笠原 22日間の航海ということになりますな。
 そのうち、12日間は氷入りのカクテルを楽しめた、と。

7/17 0530 二見港出港 -----------------------------

7/21 0040 淡輪入港 -------------------------------

めでたしめでたし。

いわゆる角氷ではなく1つ1つが小さなキューブアイスですが、たんなるアイスボックスではなく冷凍庫に入れて、出港時には冷凍庫自体が完全に冷凍状態にあったからゆえの長持ちだとは思いますが。

それにしても12日間、貿易風に吹かれ気絶するほど美しい夕陽に包まれて氷が入ったカクテルが飲めるなんて。
と、同時に、長距離航海では、冷蔵庫、冷凍庫に期待してはいけないということか。まあ、冷蔵庫なんかなくてもどうにかなりますね。

但し、長距離航海というより長期間航海──つまり、ヨットの上で生活するような場合、やっぱり冷蔵庫はなくてはならない強い味方です。

ワタシとしても、この後、ニュージーランドでタウンソン34という古い木造艇で生活していたわけですが、中古で買ったときから付いていた冷蔵庫はきわめて有用でした。
1993年から2000年まで7年間乗っていましたが、途中一度もトラブル無し。朝夕20分ほどバッテリーチャージでエンジン回すわけですが、この時に冷蔵庫用のコンプレッサーも繋げばOK。
密閉容器に水を薄く張りちょっと長めにコンプレッサー回せば氷もできる。他のものも氷ってしまうことがあるので、ちょっとコツがいりますけど。
こうして手塩にかけて作った貴重な氷を入れて飲むカクテルがまた、良いんだなぁ。ヨットの上の氷って、ありがた~いものですよね。
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by Takatsuki_K | 2011-04-12 10:47 | 外洋航海
日本のみなさんには、すでに『KAZI 4月号』は届いていると思いますが、ワタシんとこはまだなんで、後段出てくるはずのJSAFの見解部分を読んでいないんですけど、どんどん書き進めます。
先週の続きで、「セーフティーハーネスを考える」。

前回はソフト編。つまり、セーフティーハーネスはどう使うかから書き始めたわけですが、話はハード面に。つまり、どんなハーネスがいいのか? に至りました。

ソフト面も軽々に結論が出るような話ではないのですが、ハード面もしかり。
KAZIの記事では、
「ハーネスそのものの品質は、EN1095(ISO12401)という規格が定められているので、それに合致した製品であれば、機能的には問題無いと思われる。」
と簡単に流してあります。詳しくは別に誰かが書いてくれるだろうな、と思って。

そして今回、まずは、古い自作ハーネスのテーザーの写真を見て「そんなのすぐに切れちゃうんじゃないの?」という指摘があり、確かに……と思い調べてみたわけ。強度的には持つのかどうか。
まずは、ISO12401ではセーフティーラインとフックに求められる強度はどのくらいになっているのか調べてみたのですが、有料みたいなので断念。8千円くらいなんですけど、ケチですいません。

それではと山登り用のカラビナを見てみると、破断強度24~25kN(約2,500kg)となってます。
自作ハーネスのラインは10mmのダクロンなので破断強度は1500kgくらい。安っぽいナスカンはステンレスの8mm径なので、こちらも破断強度は1500kgくらいか。十分ではないけど、なんとか使えるレベルか。

で、話はハーネス側との接続に。
記事にも書いたように、船側の接続部が水没した場合、ハーネスラインは逆に体を水中に引きずり込む役割を担ってしなうわけで、ハーネス側からセーフティーラインを切り離せないとヤバイことに。

ハーネス側もフックになっていれば外すことが可能ですが、強いテンションがかかった状態ではたしてスムースに切り離しできるのか?
ハーネス側がカウヒッチなどで結びつけられているものだと取り外すのは無理。で、この場合はカッターを持つこと。これも、普通のナイフだと膨張式のライフジャケットに穴をあけてしまう危険があるため、専用のカッターが必須である……と。

ここで、ハーネス側がクイックリリースのシャックルになっている製品もあったが、ウエストマリンの物はリコールされたという情報が入りました。
他にも、ハーネス側がクイックリリースになっている製品は無いのかな? ちゃんと調べていません。


と、このあたり、先週のここの記事を書いた後、皆さんから寄せられたコメントをまとめたもの。

セーフティーハーネスについて考える場合、
ハードウエア側は、
○ セーフティー・ハーネス本体
○ テーザー(セーフティー・ライン)
○ ヨット側のクリッピング・ポイント
の3つに分けられます。

ここまではテーザーに関しての話。
セーフティーハーネス本体に関しては、ライフジャケット兼用か否かで話が変わってきて、膨張式のライフジャケットの普及に伴い、セーフティーハーネスのみの商品は少なくなっているのかも。旧来型のライフジャケットだとその上からセーフティーハーネスを装着するという使い方ができるけど、膨張式だと難しいから。

で、いただいたコメントで膨張式ライフジャケットの欠点として、ハイクアウトから抜けるときにライフジャケットが引っかかるという点が挙げられました。確かに、襟の部分がヒラヒラしているから、そこがライフラインの上段に引っかかる。マニュアルのタブを引っかけて誤膨張してしまうことだってあるかもしれない。
タックの際にハイクアウトから抜けるのが遅れると、あるいはワイルドタックしたときに、そのまま風下に体が残ってしまい、そこでライフジャケットが自動膨張してしまうと余計ライフラインに引っかかってしまって抜けられなくなり危険であった。
という報告が寄せられました。
確かに、考えられるケースです。
膨張式のライフジャケットが出回るようになってまだあまり年数が経っておらず、装着率は増えたものの、実際落水した人は極めて少数。ホントに開くの? 自動膨張式とマニュアルとどっちがいいの? 実際漂流してどのくらい保つもんなの? 等々、????は多いですよね。

逆に、セーフティーハーネスとして体を支える場合を考えると、旧来型のライフジャケットにセーフティーベルトが仕込まれたタイプも体へ当たりが柔らかくなるという意味ではメリットあるのかなぁと、ここにきて感じました。

膨張式ライフジャケット内蔵のタイプだと、今回、コメントで寄せられて評判が良い商品がこちら。
spinlock社のDeckVestシリーズ。

動画もいろいろ出てます。

これだと確かにライフジャケット部がコンパクトで体にフィットしていてよさげ。股ベルトも付いているし。

詳しいインプレッション記事があってもいいですよね。

そうそう、ライフジャケットに関しては、ISO12402-3で定めてあるようなので、こちらも合わせて詳しく取り上げてみたいですね。


以上、ここまで、ゆうさん、蒲郡みかんさん、umihikoさん。コメントありがとうございます。
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by Takatsuki_K | 2011-03-08 16:55 | 外洋航海
3月5日発売の『KAZI』4月号はセーフティーハーネスのミニ特集。
自分でも記事書いているんですけど、ちょっと書き足りなかったのでこちらに補足を書いておきます。

まず、
ハーネスはいつ身に付ければいいのか?
「恐いと感じるかどうか?」は判断基準ではないように思う。
じゃ、どういう基準で身に付けるのか? といわれるとよく分かりません。専門的に研究してるわけではないので。落水したことないし。
でも、ここんところが一番重要なんじゃなかろうかとも思い。じゃ、自分ではどうしていたかというご報告を……。

レース中
インショアのブイ周りレースではハーネスは付けませんよね。最近はライフジャケット着用が最初から義務づけられているケースも多くなっているようですけど。ブイ周りのレースでは、どんなに吹いていてもハーネスはまずつけない。つける必要はないと主張しているんじゃないですよ。自分はつけていないという意味。

じゃ、ロングレースではどうか?
スタートして安定して走り始め、次第に周りのレース艇も少なくなり、日が陰ってきたあたりがハーネスタイムって感じですか。

2000年のケンウッドカップ、最後のオフショアであるモロカイレースでは、スタート後長い真上りのレグが夜通し続きます。もちろん全員ハイクアウト。貿易風のビュービュー吹き。
日が暮れるちょっと前に、隣にいたジョーイ・アレンがすっとハイクアウトから抜け下に降り、全員の分のハーネス持って出てきて配って回りました。
ジョーイ・アレンといえば、ニュージーランドの伝説のバウマンで、この頃はもう最年長クルーだったけど、アメリカズカップもとり、ウイットブレット世界一周レースでも優勝している大ベテランです。それがハーネスつけろと全員に渡すわけ。
このときのスキッパーはケン・リード。今でこそボルボ・オーシャンレースの大スキッパーとなったわけだけれど、この頃はまだ往年のJ24チャンピオンという感じで、オフショアレースにおけるこのての配慮ってものはみじんもなく、「一晩程度のレースならインショアレースのテンションのまま走りきるけんね」という雰囲気でした。
そこでは、誰か「ハーネス付けるぞ」と言い出す係が必要なわけ。このときのチームでそれができるのが、ジョーイだったのです。

ご存じのように、〈エスメ〉チームは国外と国内でメンツが大きく異なります。日本国内のレースでは、ワタシがこの役を担当していたわけですが、同じようなタイミングでハーネス付けるようになってました。別に、「スタート前からハーネスを着ける必要はない」と言っているんじゃないですよ。ワタシらはこうしていたというだけの話。

一旦ハーネスと付けると、おもしろいもので、翌日の昼間もだいたいハーネスは付けっぱなし。必ずテーザーのフックをかけているとは限りませんが、ハーネスさえ身に付けておけば、あとはいつでもフックをかければいいわけだから。

要は、誰かが言い出さないとならないということですな。
じゃ誰が言い出すのか、ということですな。

昨年マレーシアで行われたラジャムダ・レガッタもオーバーナイトのレースなわけですが、これがまた初めて顔を合わせるメンバーばかりで、こういうときが問題です。
レース前、オーナーに「艇のハーネス使えるのか?」と聞いたら、「ダメだ。自分の持ってこい」と言われ、事前に聞いといて良かったと思いました。最近は艇に備え付けのハーネスを使っていたので、久々に古い自分のハーネスを引っ張り出してきて使うことに。

スタートし、夕方になった時点でさっさと自分だけハーネスを着用。
すると、一人だけ若い20才のクルーがワタシの真似してハーネス着けて出てきたんだけど、他のオッサンクルー達は「おー、オマエ、良いのもってるじゃん」というように冷やかすわけ。50代のベテランヅラしたオッサン達に冷やかされ、ずっとOPに乗ってきてオフショアには慣れていない若者としては何となく気まずくなったのか、結局ハーネス脱いでしまいました。
このとき、「このチームはダメだな」と思いましたね。


さてそんなわけで、久々に昔のハーネス引っ張り出してきて使ったんだけど、これ、シンプルで使いやすいなぁと再確認しました。自画自賛。
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自分専用に自作したものなのでサイズの調整はできないけど、Dリングが3つついていて、薄着のときと厚着のときで使い分けられるようになっている。
ベルトは結構固くねじれにくいので着るときに絡まない。おまけに、表側だけマジックで線を引いてあり、薄暗い中でも裏表がわかりやすいようにしてあります。ベストを着る感じで簡単に身に付けることができるわけ。

テーザーのラインもフックも安っぽいけど、3フックシステム。フックとフックの間隔は75センチ。深く考えてこの長さにしたわけではなくたまたまこの長さなんだけど、長く使ってきてちょうど良い長さだと思う。
3つフックが付いているということは長短2通りに使え、中央のフックをハーネス側に留めれば、2本のエンドを交互にかけて移動もできる。ま、そんな使い方したことほとんどないけど。
使わない時は3つともハーネス側のDリングにかけてしまえば、垂れ下がるのは30センチ程度なので邪魔にならない。

但しこのフック、軽くていいんだけど、シングルアクションなのでお勧めはできません。
普段は、
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上図のようにしっかり固定されているように見えますが、ぐるっと回って下図のような状態になると簡単に開いてしまうわけで。
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なぜダブルアクションのフックが推奨されるのか、ご理解いただけるかと。
これも、今回の特集で言いたかったことなんだけど。掲載されないみたいなのでこの場で書いておきます。

また、文中、「テザーのハーネス側が固定されているような製品もあるが、 その場合は専用カッ ターが付属している。」となっているはずだけど、元の文章は、「テザーのハーネス側が固定されているような製品は論外」と書きました。ハーネスラインを留めた船体側が水没した場合、ハーネス側からラインを外せないと溺れてしまうから。
とはいえ、その手の商品を販売しているメーカーに配慮して上記の記載にしたわけですが、ユーザーサイドから考えたらこんなところでケチってどーする? と主張したいところです。ハーネスの中でセーフティーフックのコストが占める割合は高く、安物はどうしてもハーネス側を固定しているようだけど。
軽量化?……クソ食らえでしょう。


レースじゃないときはどうか?
どんなに穏やかでもデッキに出るときはハーネスをつけていました。
レースじゃないってことは、ワタシにとっては回航なんですけど。一人でワッチしていることも多いので、いざとなっても舵をおっぽらかしてハーネス取りに行くヒマはない。
そもそも、舵を持っているときが一番落水の危険が大きいんじゃないかと思うんですね。舵持ったままジブシートを引きこむなんて無理な体勢になることもままあるわけで。そのうえ、デッキには一人しか出ていないわけで……。

したがって、カッパ着るような状況じゃなくても、とにかくハーネスは身に付けカッパは手に持ってデッキに出るというのが、常でした。
これは、恐いと感じる状況かどうかとは全く関係なかろうと思われます。
ここんとこ、特に主張しておきたいなぁと。思うわけです。

そうなると、セーフティーハーネスはシンプルな方がいいなぁと、昨年久々に自作の古びたハーネス引っ張り出してみて思ったわけで。

みなさんはどんなハーネス使ってますか? 使用感はどうですか?

議論の発端として、詳しくは3月5日発売の『KAZI』4月号をご覧下さい。2011年2月号、88頁からも「基礎から学ぶ艤装品ガイド」としてセーフティーハーネスが取り上げられています。そちらも合わせてご覧下さい。
……という宣伝なんですけど。

セーフティーハーネスって長く使えるので、いろんな種類を使いこなした経験を持つ方は少ないと思われ。でもそれぞれの使い勝手はかなり違うと思うし。とはいえ、価格は結構高いので、いざ購入となると、悩む。

ここは一つ、web上で使用感をレポートしあえばどうかなと思うんです。
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by Takatsuki_K | 2011-03-01 11:51 | 外洋航海
昔話シリーズです。おつきあいください。
今回は、グアム島の近くで台風に巻き込まれた時のお話。

シドニー~ホバートレースに出場するため、小網代を出てシドニーまで回航することになったワタシ。1981年。まだ26歳の頃のお話です。

回航スキッパーはロバート・フライ。
今は故郷ニュージーランドに戻って暮らしているようだが、当時は日本国内最強のレーシングスキッパーだった。
ワッチキャプテンは糸賀悟。ワタシの師匠です。今でも現役の強力セーラー。
ロバートはワタシとはそれほど歳は変わらないはずだから、この時彼もまだ20代だったはず。糸賀さんも同じくらいだからやっぱり20代。

後、ワタシより1歳年上の松尾さん。この人はヨットばかりかメカニックのプロでもある。何でも直す頼りになる男。おまけに身軽。走りながらシュラウド交換したこともあるんだから。

そしてワタシより年下が2人。
……の合計6人乗り。

と、その時は極めて心強い回航メンバーだと思っていたけど、今考えてみるとみんな20代なんだよな。若いなぁ。
一番若いクルーは10代だったし。


当時はヨットで海外に行くなんてのはまだ珍しかったんだろうか、出航当日は三崎まで母が見送りにきてくれたと思う。
ここで初めてロバートに合い、
「あら、ロバートさんって、外人だったの?」
と、電話で彼の流暢な日本語しか聞いてなかった母は驚いていた。
「変わった名前だとは思ってたのよね」
と。

そういえば、デザイナーの大橋さんは家に電話をかけてくると、
「バンデシュタット大橋です」
と名乗るので、日系二世の外人だと思っていたらしい。コテコテの名古屋人なんですけど。

携帯電話が無かった当時、ほとんど家に居なかったワタシと連絡を取るのは大変だったみたいで、電話交換手として母にはいろいろ手間をかけてしまった。母ちゃん感謝しています。

もちろんチームの先輩達も見送りに来てくれて来々軒で飲み食いしたっけ。
で、ゲップゲップの状態で送り出された。

船は54ftのマストヘッドリグ。
IORが華奢になる前のゴツイ戦艦大和みたいなアルミ艇だった。だから6人もクルーが必要なのです。

三崎を出て一気に南下するも、海は時化模様。
夜中、ワッチオフで寝ているワタシを糸賀さんが起こしに来る。
「みんなバテてるみたいだからよぉ、サービスワッチしねーか」と。

糸賀さんは、この時初めてこの伝統あるチームに呼ばれた助っ人で、
「一人じゃ何かとやりにくいだろうから、誰か一人子分を連れてきていいぞ」とオーナーに言われたんだそうな。
人間関係の難しさというものが良~く解っているオーナーであります。
で、何でも言うことを聞く一の子分であるワタシが呼ばれたというわけ。

つまり、このチームではワタシら二人はまだ外人でありまして、この時化の中で良い格好しておくのは後々チーム内での自分らの立ち位置というものを定かにするためには重要なわけ。
ロバートにしても松尾さんにしても、この程度の時化でギブアップするようなセーラーじゃないんだけどね。ま、来々軒での送別会はかなりヘビーだったし。

40ノット近くまで吹き上がる。
が、当時のワタシからすれば、この程度の時化はなんてことなく、糸賀さんに至っては、ザブザブ波を被りながらご機嫌で、
「いい風だねぇ~。赤ワインとカマンベールチーズはねーのかよ」
等とワガママを言い出す始末。
ビールと普通のチーズなら、と、冷蔵庫を漁りつつ、
「チーズあったよなぁ」
とすぐ横で寝ていたクルーに聞いたら、
「チーズ? 何言ってんですかぁ。こんな時に」
とあきられた。が、最初はこのくらいカマシておいた方がいいんです。


その後、小笠原でエンジンを修理し、11月15日、いよいよ日本を出る。
当時の航海日誌があるのです。航海日誌というより単なる「日記帳」だな。
こういうのつけておいて良かった。当時はデジカメなんか無いし、この日記だけが当時の思い出だから。

で、今読み返してみると、ゼノア→#2→#3と、やたらこまめにセールチェンジをしている。マストヘッドリグの54ft艇ですよ。ロバートは厳しい。このペースで走るんじゃ、6人乗ってないと無理ですな。

おまけに、GPSはもちろんロランも無い。

11月20日 0600「目覚めればグアムですよ」と松尾さんと話してワッチ交代。なかなかグアムが見えない。
DFの登場。視界が悪い。雨がすごい。
グアムのポートマスターと無線がとれる。午後から天気回復とのこと。
風はだんだん強くなる。
どうもグアムを行きすぎたようだ。


と、日記にはある。
太陽が出ないと位置も出せないわけで。苦労してます。


1200 ワッチ交代。40~45ノット。だいぶ吹いている。


と、ここで、一番若いクルーは寝たきりになったもよう。かわいそうだから名前は出さないけど。元気にしてっか~?

1330 デッキに出てみると、マイッタゼ!!
海面はスプレーで真っ白、ワァーオ。
トライスルを揚げるのも難しいだろう。と言ってる間にメインブレイク!!
嫌でもトライスルを揚げる。
ボルトロープも通らないし、通ったら通ったでシートがペデスタルにからまってどうしようもない。ペデスタルがグラグラゆれている。今にももげそう。松尾さんが必死で外す。クランクしたとたんターニングブロックのスナッチブロックが吹っ飛んで糸賀さん顔にケガ、ダウン!!
風速67ノット。ワァー。台風だ!!



と、こんな状況でよくもまあ日記書いてるなあと思うけど。

状況を説明すると、
日本を出る前にマストを新調した。細めのマストでよりセールコントロールをしやすいように。
ところが、グルーブの径が微妙に違っていて、以前からあったストームトライスルのボルトロープよりわずかに狭くなっていた。
キツイところを無理してハリヤードで揚げている間に時間を食ってしまい、その間遊んでいたシートが強風で暴れペデスタルウインチのポストに絡まってしまったというわけ。

67ノットの風は暴力的だ。風になびいてばたばたさせてしまうと、近寄ることさえできないくらい。すぐに大きな玉状に絡まってしまい、そうなるとウインチで引くに引けず、絡まりを押さえ込もうにも大男がむしゃらに繰り出すパンチのようなもので……と、非常に危険な状況になってしまった。

なんとかほどいて処理したと思ったら、ウインチで巻き上げたとたんにターニングブロックが粉々に分解してその破片が糸賀さんの顔面を襲ったというわけ。片眼が腫れ上がり、救急車を呼びたいくらいの状況だ。

風はますます上がっていく。どうやらすぐ近くで台風が発生したもよう。
この時の海況をもう少し思い出して書いてみる。

風は「ビュービュー」ではなく、「バアアアアン」と塊で押しつけられるような感じ。
雨が降っていたかどうかは、実はよく覚えていない。絶え間なく波しぶきが襲ってくるので、雨と波しぶきの違いが解らないのだ。

波は、日記では「大ーきい」と書いてあるけど、波の大きさはあまり記憶に強くない。波の大きさに「怖さ」は感じなかった。
すべての波頭が砕けて波しぶきとして空中に充満しており、海面と空中の見分けが付きにくい。

この海況を乗り切る方法はいろいろあるのだろうが、この時ロバートが取ったのは、
ストームトライスルとエンジンを使って船を波に立てる
という方法だ。

その前の状況で正確な船位を確認できていなかったので、なるべく同じ場所に留まりたかったんだろうと思う。

ところが、波しぶきの勢いがすごくて、波の方向(風上)に向かって目を開けていられない。
そこで、ヘルムスマンの前に3人が後ろ向きに並んで立って波よけになり、その隙間から波を見ながら舵を当て、必要ならエンジンを吹かして波を乗り越える、という方法をとっていた。

日記によれば、

1530ごろ なんとかトライスルが上がる。これからはひたすら走るのみ。風上にむかって目を開けていられない。
3人が立ってヘルムスマンをガードしながらの走り。波はくせがあまりないが大ーきい。
「あ、ヤバイの来たぜ」とロバート。
ひたすら走る走る。


波よけの3人は後ろしか見えていないので、ヤバイ波が来るとヘルムスマンの合図に合わせて身構える。
船が波に突っ込むと、腰のあたりまでドドーっと海水が押し寄せてくる。

と、書くと凄そうだけど、寒くなかったので別に辛くはなかった。
艇長のロバートとしては「この走りでいいんだろうか?」とハラハラしていたのかもしれないけど。ワタシとしてはロバートのことを100%信頼していたので何の不安も無かった。ロバートが言うなら間違いないだろう、と。
でもまあ、今考えてみれば、20代の若造の集まりなんだけど。
苦労は若いときにしろってことですかね。

そのうち風が弱まってきたというか、こちらの方がその状況に慣れてきたんだと思うけど、ヘルムと波よけ1人を残して交代で休むことに。

やがて本当に風は落ち、それでも曇っている限り天測はできないので、グアムがどこにあるのかも良く解らない。しかし米海軍のレーダーで我々のことはずっと補足していてくれたようで、無線でグアムの方角も教えて貰い、グアム、アプラハーバー入港。
米海軍様。その節はありがとうございました。


追記1:
この時以来、出航前にストームトライスルやシートのリードの位置などは必ずチェックするようになった。いざとなると限られた動作しかできなくなるので物と心の準備は重要です。

追記2:
一番重要なのはスキッパーへの信頼、かな。
この時、糸賀さんは顔面パンチを食らってダウンしていたわけだけど、あの人ならいざ手が足りなくなったら片眼しか使えなくてもデッキに出てきただろうし。いや、実際すぐに復帰してきたし。何か顔にタオルを巻いた姿を自身でも気に入っていたようであった。

追記3:
「逆ジブ張ってティラーをめいっぱい切ってヒーブツー」なんて記述をよく見るけど、上記の状況でそんなことできるかな? と思う。
風の強さのみならず、海況や船の性格、風下側に陸地があるのか否か、などヨットが置かれた状況はすべて違う。対処の仕方も千差万別で、しかしそれぞれ1つの方法しか試すことができず。もっと良い方法があったのかもしれないし、遭難しなかったんだからそれが最良の方法だったともいえるし。遭難したからといって、別の方法ならもっと最悪だったかもしれないし。

荒天帆走の答えは永遠に出ないんじゃないかなと思う。
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by Takatsuki_K | 2010-07-13 14:01 | 外洋航海
JSAFの組織体系についてはどーも納得がいかないんだけど。その部分、JSAF内でも「なんとかしたいけどどうにもできない」事のようで……。

「ダブルハンドレースの魅力」については、
- 二人でヨットを操る楽しみ -
という部分も大きいのでは? というご指摘があり、確かになぁ。と思う。

自分としては、ダブルハンドレースには1度しか出たことがなく、それもレース中はなんだか夢中であっという間に終わってしまったのでよく覚えていないんだけど。
その前に、2人で小笠原から43ftのレース艇を回航してきた事があって、あれはかなり強烈な体験だったので改めて書いておこう。何度かいろんな所に書いてきたけど。改めて。

あれはいくつの時だったか、改めて調べてみたら、1988年。33歳の冬。まだ海童社を作る前のこと。
太平洋もぐるっと周り、ハワイ~日本の回航はすでに3回経験し。グアム~香港の回航もやったりして調子に乗っている頃のお話だ。

サイパンから3人乗りで東京湾を目指した我々は、まずは小笠原に寄港。ここでほぼ同時にサイパンを出たフランス人(一人乗り)と再会し、
日1「ここはまだ暖かいけどさ、真冬だよ。こっから先は一人じゃキツイぜ」
仏「やっぱり?」
日2「俺そっち乗ってってやろうか?」
仏「まじ? いいの?」
日3「いいんじゃねー」
と、ここで、我々は1人をそのフランス艇に貸すことに。
となると、こちらは43ft艇に2人乗りで、真冬の海を東京湾めざして北上することになった。海を舐めてたんですなぁ。

1月の終わりか2月の初旬だったと思うけど、とにかくこの時期は荒天続き。一端収まってもせいぜい1日で、その後冬型の気圧配置が強まり上りの強風がずーっと続く。
その後1991年の暮れには〈マリンマリン〉〈たか〉が遭難した大時化の海。そこを風に逆らって走り続けるわけで……。

小笠原でどんなに天候を見定めて出航しても、必ず時化に捕まるというわけ。この時も、小笠原を出て翌日にはもう時化ていたと思う。まだそれほど寒くはないからいいようなもののさらに風波は増すばかり。
「このまま走り続けるの、しんどいなぁ」
と思ったところで相方が、
「そういえば、こういう時、漁師は鳥島の風下に避難するって聞いたなぁ」
と言いだし、チャート見れば鳥島はすぐ近く。
「行ってみっか」
ということで鳥島を目指す。
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風下側からアプローチするのが得策か、と簡単に考えたのがまず最初の間違いで。
後で八丈島の漁師に聞いたら、この手の島の風下側では「千波が立つ」といって、逆に波風が一段と強くなる海域があるんだそうな。島の左右あるいは上空を回り込んだ風が再び合流する海域ということなんだろう。
我々はもろにその海域の中を走り続けてしまった。バカです。

その時はそんなこと知らないので、「ひでー時化だなぁ」と文句を言いつつ走り続けると、やがて島が見えてきた。
鳥島は、丸くて小高い小さな島で、入り江なぞは無い絶海の無人島だ。とりつく島もないというのはまさにこのこと。
wikiに写真があったのでちょいと拝借して貼り付けておこう。
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最初に目視できたのは夜明け頃だったと思う。遙か遠くに島影は見えるが、島の方から猛烈な風が吹いてくる。
俺「島の風下って、休めるような海況なんだろうなぁ」
相方「そう聞いたよ。あれ、青島だったかなぁ」
俺「……」
ちょっと心細くなる。
それでも走るしかない。

さらに島に近づくと、島影に2隻の漁船の姿が見えてきた。良かった、風下で避航できるようだ。
1隻は見慣れた日本の漁船。が、もう1隻はピンクの漁船である。後で聞いたら、台湾あたりからくる密漁船らしい。人影もなく不気味。

島陰は波穏やかでこれまで走ってきた海と比べたら天国だった。
さっそくアンカーを打ってみたが、急深なせいかアンカーが利かない。漁船はガッツリアンカーが利いているようで、漁師のおっさんはのんびり船縁で釣りをしている。休みの日でも釣りですか。

漁船の巨大な唐人アンカーが羨ましい。
と、怨めしげに見ていたら、
「後ろに捕まっていいぞ」
と声をかけてくれた。アリガタイことです。

ロープを渡し、アンカリングしている漁船の後ろに繋いでもらう。
ヤレヤレ一安心。
「さーてと、酒でも飲むか」
と思ったけれど、どーにも船が落ち着かない。

みなさん経験があると思うけど、ヨットというのはセールを挙げていない状態では、風圧のかかる中心は前の方にあるらしく、アンカーラインに引っ張られて真っ直ぐに留まってくれない。
普通にアンカーリングしていても8の字を描くようにバウが振れるでしょ。これはアンカーが利いている証拠。
船が傾いたままということは、走錨しているという知らせです。

で、荒天下の島の風下、風向は安定せず、そこにアンカーしている漁船の後ろにさらにぶら下がるという状況は極めて不安定になるようだ。結局ヨットは1回転してしまい、舫い索がラダーに絡まってしまった。

参ったのう。ラダー壊したら大変だ。
なんとか絡んだロープは外したものの、このままでは落ち着いて寝てもいられない。

そこで、漁船ぶら下がり作戦は中止とし、機走でゆっくりと流すことにした。

鳥島は標高394m。周囲6.5kmとあるから、直径は2kmくらいですか。
島の風下側で海岸線に沿って微速で走る。しばらく行くと側から回り込んできた風がビュワーっと吹き込んでくるので、そこでUターン。
しばらく行くと島の反対側でまたビュワー。で、Uターン。

まあ、これでも、一人はゆっくり寝ることができ、デッキにいても鼻歌交じりにワンカップ大関なんぞをチビチビやっていればいいので気楽なもんだ。

大時化とはいっても冬の季節風なんで、空は晴れ。夜になれば星が綺麗だ。
で、ビスタチオをポリポリ食べながら酒を飲み、
「いやー、極楽極楽。しかしまあ、無茶しすぎだな。こんなことしてたらそのうち死ぬな。今エンジン壊れたら最悪だろうしなぁ」との思いに至り、海に捨ててたビスタチオの殻をエンジンが吸い込んだらヤバイよなぁ、などと妄想が妄想を呼んだ話は前にどっかで書いたっけ?


翌日、夕方だったか。漁師のオッサンが、
「今がチャンスだぞ。今を逃したらしばらくまた時化続けるぞー」
と背中を押してくれ、鳥島を後にする。
見ればピンクの密漁船もいなくなっている。

まだ風は強かったけど、だいぶ横に回っていたので八丈島まではリーチングで爆走。気持ちよく航海できた。

さて、と、バッテリーをチャージしようと思ったらエンジンがかからない。エア抜きしてみたら、バルブから汚い燃料がゴホゴホ出てくるではないか。ナンダコレハ。
大急ぎで準備して鳥島を出たので、ポリタンから燃料を移し入れた相方が燃料タンクの蓋を閉め忘れたもよう。風下舷側にある給油口は、波が洗っている。

「あ-、蓋閉まってないじゃん」
「あれ? そうだっけ。しょーがないじゃん。忘れちゃったんだから」
と、反省の弁はまったくなく、もうこうなるとエア抜きもへったくれもなく、燃料タンクの中は大量の海水に満たされているもようで、なすすべ無し。

確かに「しょーがない」のも事実なので、なんとかセーリングで八丈島、神湊漁港に入港。コの字に入り組んだ港ゆえ、43ft艇を2人で操るのは結構大変だった。浮き桟橋ならいざしらず、小高い岸壁にしがみつき、釣りのオバサンに舫いを取ってもらう。
思えば、これまで、エンジントラブルの為に何度セーリング入港したことか。
まあなんですなぁ、いざとなったらセーリングで入港できるサイズのヨットに乗る、というのは結構重要な基準かも。

八丈島での燃料タンク修理の時間は楽しかった。良い島です。クサヤ美味いし。
相方は、
「クサヤばっか食べてるから、うんこがクサヤ臭くなった」
とぼやいていたが。それは、クサヤがうんこ臭いんだろう、と。

修理を終え、一端出港するも、すぐにまたエンジンがかからなくなり再び八丈島に戻り、完全に燃料タンクを外して洗浄するなどけっこうな大工事の末に八丈島を後にする。

八丈島から東京湾はなんてことなく。
で、東京湾に入ったら猛吹雪だ。
もう後は無いので、とにかく走る。
東京湾ってバカにするけど、時化ると結構キツイんですよね。
横殴りの雪で目を開けていられないので水中めがねでガードし毛布にくるまり舵を持つという極限状態のセーリング。つーか、バカ状態というか。
いよいよ吹雪がひどくなり、自艇のマストもよく見えなくなってきた、と思ったら、水中めがねが曇っていた。


東京湾マリーナに着いて、健康ランド行ったの覚えているなぁ。あれが初めての健康ランド体験か。いやー、いいなぁ健康ランド。

この後、91年の1月にも、グアム~小網代の回航やったけど(懲りない男)、この時は4人。大変といえば大変だけど、まあ、なんてことない。
やっぱ2人乗りってのはドラマチックなんだなぁ、と思う。
と、同時に、
こんな無茶しているとそのうち死ぬな、とも思った航海だった。


追伸1:
小笠原で分かれたフランス艇は、我々が鳥島や八丈島で時間を潰している間も走り続け、黒潮に流されて銚子の方まで行ってしまい、バルクヘッドにヒビが入るなど壮絶な航海を続けて同じくらいに東京湾に着いたんだったか。

追伸2:
八丈島の岩場にいた釣り客が、
「ヨットが波の合間に消えた」
として、保安庁に届け出たそうで、捜索騒ぎで島は大変なことになっていたらしい。
いや、ワタシら、良い調子で走っていたんですけど。
そういや上空を飛行機が旋回していたっけなぁ。

こういうのも、無線があればねぇ。
そうだ、このときは小笠原の海上保安庁に、無線機のフューズを外されちゃったんだった。
携帯電話も無い時代のお話です。

追伸3:
2002年に火山が噴火し、一時は航行警報がでていたもよう。
避航の際は、お気を付けください。
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by Takatsuki_K | 2010-07-06 17:20 | 外洋航海

何を教えるのか?

浜名湖で中学生ら20人が乗ったカッターボートが転覆、1人が死亡。
痛ましい事故であります。
海の事故というのは、明暗がハッキリ分かれてしまうので悲惨です。

転覆した原因や命を落とすに至った経緯は今後解明されていくのでしょうが、
------------------------------------------
浜名湖ボート事故 指導員同乗せず「船酔いで漕げない」
(前略)
 ボートは午後2時ごろ、沖合に向けて出発。うち1艇のボートの教諭から別のボートの職員に無線で「ひどい船酔いでこれ以上漕げない」と連絡があった。

 県教委の説明では、転覆したボートは漕げなくなっためモーターボートで曳航されている途中に転覆したという。
(後略)
------------------------------------------
なんだそりゃ。
「どんなに苦しくても、自分で漕がないと家には帰れないんだぞ」
ということを教える為の訓練なんじゃないんですかね?

そもそも、中学生18人を乗せて海に出るって、指導者はよっぽどのスキルが無いと無理。ワタシなんかでも、自信無いです。

思えば、大学時代のカッター部は全国レベルの強豪で、同期の連中はそりゃもうゴツイ奴らばかりだったなぁ。なぜか九州出身の奴が多かった。
カッターの練習なんて遠目に見てるとなんてことないようだけど、これがまた相当キツかったみたいで、カッター部の連中は普段教室にいても独特の雰囲気がありましたね。あれが潮気というものか。

人に教えるとなると、さらなるスキルが求められるわけで、今回事故を起こした引率の先生も、当然ながら「自身でカッターを操る訓練」、及び「カッター訓練を指導する訓練」は受けていたんだろうけど。
潮気なんてそうそう身につかんですよ。

この事故を受けて、カッター訓練中止になったらとても残念。ゴツイ指導者になれる人材は探せばいるはずなんだから。制度を改めて続けて欲しい。

以上、最近日本のテレビはほとんど見ていないのですが、的外れな解説が横行しているんだろうなぁと想像するので、思うところを書いてみました。
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by Takatsuki_K | 2010-06-22 16:12 | 外洋航海
さてそれでは、<エオラス>の今回の航海がどんなものになるのか?
ワタシも大西洋は走ったことがないので、この前も例に出した『World Cruising Routes』(Jimmy cornell著)で、ちょいと調べてみました。

時期的には6月~8月がベスト。
でも「寒くジメジメしていて霧が濃い」んだそうな。

ニューヨークは北緯40度。目的地のフランス、ルアーブルは北緯50度ですから。そりゃ夏でも寒そうだ。
北海道、稚内でも北緯45度ですからね。

昨日の天気図と重ねたのが下図。
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左の青丸がニューヨーク。右の青丸がルアーブル。

距離的にはまっすぐ向かえばOK。これで風向も海流も後ろからということになるそうです。

ちなみに、96時間後の予想天気図を重ねたのが下図。
f0171353_945868.jpg

まあだいたいこんな感じの気圧配置になるってことでしょうね。
これ、矢羽根1本が10ノットだと思うので、40~45ノットの西風。

このサイズのヨットだと、40ノットの追い風でも、コンパニオンウエイの刺し板入れとかないと波が打ち込むんじゃないでしょうか?

別の予想図見ると50ノット以上吹くこともわりと普通みたいです。

と、この航路、けして家族旅行のノリじゃなさそうですね。

先の太平洋では、日本にいる馬場さんの気象解析による見事なコース指示であの難しい海域を最適コースで乗り切ったわけで、今回はどんな指示が出るのか。
このあたりがワタシらにとっては一番の感心でもあります。
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by Takatsuki_K | 2009-07-16 09:47 | 外洋航海
走って北米大陸を横断していたタレントの間寛平さん。
ワタシ自身はマラソンにはあまり興味がないせいか、走りの部分はほとんど見ていませんでしたが、大西洋横断は面白そうだぞ。
<エオラス号>いよいよ出港しました。

こちらが公式ホームページ。
また楽しみが増えましたネ。


このところ、スポンサーがついた“プロの冒険”といいますか“冒険興業”といいますか、そういうの結構ありますが、キモはやっぱり情報発信能力ですかね。

その点、<エオラス>スキッパー氏はすごい。
ほんと。
ワタシ、お目にかかったことはないのですが。一人で船を操り、食事も作り、修理もし、テレビ中継もあるんでしょ。で、毎日ブログの更新。
ワタシにやれと言われても無理。断ります。


さて、我々陸の上から楽しむにはどうするか?
NOAAの海上気象情報
なんていかがです?

それぞれクリックすると拡大します。

天気図を見ると、うーむ。
正直いって、夏の大西洋横断なんて、家族旅行のレベルじゃん、なんて思ってたけど、結構大変かも。

御安航を祈る!!
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by Takatsuki_K | 2009-07-15 15:45 | 外洋航海

走り続ける人達

寛平さんを乗せた<エオラス>は無事ロスアンゼルスへ到着。

ずーっと公式ホームページ見てました。朝起きるとまずはここから、って感じ。
面白かったなぁ。
楽しませていただきました。

しかし、これ、書くの大変だったろうなぁ、と思います。長距離航海のヨットの上って、変わり映えのしない毎日が続くので、こんだけ書くのはどんだけ大変か。
ワタシなんか、ロールコール時に順番待つだけでも嫌だったもん。

ま、さすがに、送られてくる画像は変わり映えしなかったですけど(^_^;)
こりゃしょうがない、、、と思うでしょ。でも、そこをなんとかするのが、寛平さんの役割ではなかったのかと。『水曜どうでしょう』の大泉洋のようにできんものか。

感想:---------------
馬場さんのコース指示はすごい。
1週間くらい先までの予想立てて、それが大抵当たってましたもんね。

ワタシらの長距離航海では、台風の可能性でもないかぎり、天気図なんて見もしませんでした。
この後時化るってのが分かったところで、どうせ乗り切るしかないんだから、と。
だから、ストームトライスルとか、セール全部降ろして後ろにロープ流して耐える、なんてのが、必ずありました。
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なんにしても、67日間走り続けるのは大変ですよね。


と、その間も、ボルボオーシャンレースの面々は走り続け。
この人達もスゴイ。
なんたって、この間、ずーーーーーっと、セールトリムしっぱなしなわけですから。
このての連中と一緒に乗った事あるので分かります。彼らのセーリング密度がいかに濃密か。あのペースでずっと走り続けるのって……。
なんとなく、ケン・リードの髪の毛が薄くなってきているような気が。
苦労してるんだろうなぁ。


で、ワタシのボルボオーシャンゲーム。リーチングが続いたので飽きちゃった(^_^;)
しばらく忘れてて、ふと見ると、向かい風の中スピン揚げて止まってました。

その間、ずーっと走り続けていた人達はすごいっス。
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by Takatsuki_K | 2009-03-13 10:52 | 外洋航海