ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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レース主催者の楽しみ方

ツール・ド・フランスが終わった。
セーリング競技同様、自転車競技もバリエーションは広い。
競輪だって自転車競技だし、山を駆け下りるダウンヒルやBMXみたいなフリースタイルもある。
ツール・ド・フランスはそれらとはまた違うロードレース。それも、3週間、全21ステージからなる長期戦だ。

コース設定は毎年変わり、山岳コースをどこにもっていくかなんてので、総合争いの様相が変わる。特に今年は上位のタイム差が少なかったので、これでチーム・タイムトライアルが組み込まれていたら、優勝争いはまた違う展開になっていたはず。

……と、主催者側は競技として面白くなるように、大会フォーマットを毎年工夫しているようだ。裏目に出ることもあるようだけど、それはそれ。こうして伝統は築き上げられていく。

ヨットの方でも、アメリカズカップは大改革が行われようとしているところで、次回はいったいどんな船を使ってどんなレースになるのか、興味深いところ。
フォーマットしだいで、まったく違う競技になってしまういい例だろう。

あるいは、どうにも伸び悩んでいるGP42クラスなんかも、クラスルールの変更でなんとか打開しようとあの手この手のようだ。

参加艇数を増やす為には、なるべくお金がかからないように。でも艇の性能は落とさずに。
ということで、まずは1年間に使えるセールの枚数を減らし、さらには外部の援助を厳しくして支援艇の役割を制限するもよう。
代わりに、バウポールを長くしダウンウインド性能を高める。これなんかは、既存の艇は改造しなければならなくなるわけだけど。

加えて、1名ゲストを乗せなければならないようにしたようで、これはカメラマンを乗せられるようにって意味になるのか?
広報活動を重要視するということなんだろうか。

と、まあ、みなさん苦労しているわけで。
いや、こういう工夫をすることこそが、主催者の楽しみなのかもしれない。


そして、いよいよジャパンカップ。
今年は新西宮をベースにして開催される。
今のところ、参加13艇。
関東から〈からす〉〈光風〉〈エスメラルダ〉の3艇。中部からは沖縄レースの覇者〈GUST〉がエントリー。
これらの強豪を迎え撃つ関西ヨットクラブ所属艇軍。〈サマーガール〉〈SWING〉〈NOFUZO〉。かつてはシーボニアにいた〈DOTTORESSA〉も関西に引っ越してのジャパンカップ参戦。そして前回(2008年)の覇者〈SLED〉も出てくるようです。

さらには、X-35が3艇。
今年は、クラスBをTCC1.057未満と明示。これはジャパンカップが選手権試合であるための大きな前進だと思う。(理由は前にこちらで書いた)
で、X-35が1.056なわけで、ここんとこ、上手い裁量ですね。
KYCから〈WAILEA〉〈NEUREROVE〉。広島から〈JJ〉と、3隻のX35が出場。そしてここに、A35の〈LAPIN BLEU〉が絡む。……となかなか面白そう。
相模湾からこのクラスの遠征がないのが寂しいところ。なんでだろう?

第1レースは8月10日スタートです。

追加:
さて、今年のジャパンカップはどうなるのか?
そう、これが言いたかったのです。

これまでのジャパンカップはどうだったのか?
以前、ここに書いた『(わたしの)ジャパンカップ史』全13話で、83年の第1回から2000年までの変遷を紹介しています。

このブログ、そういうのをうまくまとめる機能が分かりにくいのですが、こちらから見ていただき、画面一番下の「前のページ」ボタンで次に送っていただければ見やすいかと。

これ、「前のページ」と「次のページ」って、意味が分かりにくいですね。
「前のページ」で「次の記事」に移動します。
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by Takatsuki_K | 2010-07-27 14:27 | ヨットレースを考える

パールレース2010

今年のパールレースは、スタート直後から風が弱く、参加全艇は長く苦しい遠州灘での時間を過ごした後、後半は風が上がって3日目の夜中から朝までにフィニッシュという展開だったようです。

となると、良い風の中を走った割合が長くなる小型艇が有利になっているはず。
で、総合順位を見ると1位、3位、4位、5位がCクラスとなっていることからも「小型艇有利な展開」は、裏付けられそうです。
あとは、微風の遠州灘で、どれだけ前に出られたか。ですか。

ワタシの古巣である〈エスメラルダ〉はスタート翌日の昼過ぎに御前崎の沖で早々とリタイア。早々といっても、この時点でまだ御前崎ですから。
通常なら、正午にスタートし、その日の夜中には御前崎沖を通過。夜が明けてから利島を回り、翌日の正午には大島に差し掛かっているはず。それが御前崎では……。ま、ガックリはきますわな。

でも、風の予報では以下のように、風が無いのは遠州灘のみで、相模湾には風が入っていた。
f0171353_9271827.jpg

これは2度目の夜のものですが、その前のもとっておけば良かった。時間が過ぎると消えちゃうんです。

そして、3日めの昼間は20ノット以上吹きそうだったわけで、これが分かっていたら、あそこでのリタイアは無かったのでは?
f0171353_9293599.jpg

って、このてのインターネット情報は、レース中は見てはいけないんですかね?

今回のパールレース。公示では、

15 無線通信
 レース艇は、遭難・緊急・安全の各通信ならびに帆走指示書に定める通信を除き、無線送受信機(無線電話・携帯電話を含む)を送受信に使用してはならない。
ただし、全レース艇が同じように受信できる情報(天気予報・海象気象に関する情報)は、その限りでない。

帆走指示書では、

17 無線通信
レース中、帆走指示書に定めるロールコールを除き、無線通信を行ってはならない。またすべての艇が利用できない無線通信を受信してはならない。この制限は携帯電話にも適用する。
ただし、第51回パールレース実行委員会が提供する「艇位置情報」の受信は除く、この受信のエリアおよび受信機種による可否は、プロテストの対象とはならない。


とあるんだけど、インターネットでの気象情報の収集はどうなんだろう。
レース公示にある、
「全レース艇が同じように受信できる情報(天気予報・海象気象に関する情報)」
に入るんだろうか?
インターネットアクセスそもののが、いずれかのプロバイダと契約しなければ接続できないんだから、やっぱダメ?
ちょっとこの文面だけでは判断できません。
艇長会議でなんらかの応答があったのかな?

ちなみに、上記サイトは、沖縄レースのときに、Twitterでどなたかから教わった「GPV気象予報」
気象庁の気象予測データを処理し図示したもので、無料で閲覧できます。

探せば同様な風向風速予想は他にもあるはず。
レース中、このて情報を得ても良いのか否かでは、まったく異なる競技ともいえます。
ダメならダメでいいんで、ここんところはハッキリさせて貰いたいものです。
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by Takatsuki_K | 2010-07-20 09:34 | ヨットレースを考える
昔話シリーズです。おつきあいください。
今回は、グアム島の近くで台風に巻き込まれた時のお話。

シドニー~ホバートレースに出場するため、小網代を出てシドニーまで回航することになったワタシ。1981年。まだ26歳の頃のお話です。

回航スキッパーはロバート・フライ。
今は故郷ニュージーランドに戻って暮らしているようだが、当時は日本国内最強のレーシングスキッパーだった。
ワッチキャプテンは糸賀悟。ワタシの師匠です。今でも現役の強力セーラー。
ロバートはワタシとはそれほど歳は変わらないはずだから、この時彼もまだ20代だったはず。糸賀さんも同じくらいだからやっぱり20代。

後、ワタシより1歳年上の松尾さん。この人はヨットばかりかメカニックのプロでもある。何でも直す頼りになる男。おまけに身軽。走りながらシュラウド交換したこともあるんだから。

そしてワタシより年下が2人。
……の合計6人乗り。

と、その時は極めて心強い回航メンバーだと思っていたけど、今考えてみるとみんな20代なんだよな。若いなぁ。
一番若いクルーは10代だったし。


当時はヨットで海外に行くなんてのはまだ珍しかったんだろうか、出航当日は三崎まで母が見送りにきてくれたと思う。
ここで初めてロバートに合い、
「あら、ロバートさんって、外人だったの?」
と、電話で彼の流暢な日本語しか聞いてなかった母は驚いていた。
「変わった名前だとは思ってたのよね」
と。

そういえば、デザイナーの大橋さんは家に電話をかけてくると、
「バンデシュタット大橋です」
と名乗るので、日系二世の外人だと思っていたらしい。コテコテの名古屋人なんですけど。

携帯電話が無かった当時、ほとんど家に居なかったワタシと連絡を取るのは大変だったみたいで、電話交換手として母にはいろいろ手間をかけてしまった。母ちゃん感謝しています。

もちろんチームの先輩達も見送りに来てくれて来々軒で飲み食いしたっけ。
で、ゲップゲップの状態で送り出された。

船は54ftのマストヘッドリグ。
IORが華奢になる前のゴツイ戦艦大和みたいなアルミ艇だった。だから6人もクルーが必要なのです。

三崎を出て一気に南下するも、海は時化模様。
夜中、ワッチオフで寝ているワタシを糸賀さんが起こしに来る。
「みんなバテてるみたいだからよぉ、サービスワッチしねーか」と。

糸賀さんは、この時初めてこの伝統あるチームに呼ばれた助っ人で、
「一人じゃ何かとやりにくいだろうから、誰か一人子分を連れてきていいぞ」とオーナーに言われたんだそうな。
人間関係の難しさというものが良~く解っているオーナーであります。
で、何でも言うことを聞く一の子分であるワタシが呼ばれたというわけ。

つまり、このチームではワタシら二人はまだ外人でありまして、この時化の中で良い格好しておくのは後々チーム内での自分らの立ち位置というものを定かにするためには重要なわけ。
ロバートにしても松尾さんにしても、この程度の時化でギブアップするようなセーラーじゃないんだけどね。ま、来々軒での送別会はかなりヘビーだったし。

40ノット近くまで吹き上がる。
が、当時のワタシからすれば、この程度の時化はなんてことなく、糸賀さんに至っては、ザブザブ波を被りながらご機嫌で、
「いい風だねぇ~。赤ワインとカマンベールチーズはねーのかよ」
等とワガママを言い出す始末。
ビールと普通のチーズなら、と、冷蔵庫を漁りつつ、
「チーズあったよなぁ」
とすぐ横で寝ていたクルーに聞いたら、
「チーズ? 何言ってんですかぁ。こんな時に」
とあきられた。が、最初はこのくらいカマシておいた方がいいんです。


その後、小笠原でエンジンを修理し、11月15日、いよいよ日本を出る。
当時の航海日誌があるのです。航海日誌というより単なる「日記帳」だな。
こういうのつけておいて良かった。当時はデジカメなんか無いし、この日記だけが当時の思い出だから。

で、今読み返してみると、ゼノア→#2→#3と、やたらこまめにセールチェンジをしている。マストヘッドリグの54ft艇ですよ。ロバートは厳しい。このペースで走るんじゃ、6人乗ってないと無理ですな。

おまけに、GPSはもちろんロランも無い。

11月20日 0600「目覚めればグアムですよ」と松尾さんと話してワッチ交代。なかなかグアムが見えない。
DFの登場。視界が悪い。雨がすごい。
グアムのポートマスターと無線がとれる。午後から天気回復とのこと。
風はだんだん強くなる。
どうもグアムを行きすぎたようだ。


と、日記にはある。
太陽が出ないと位置も出せないわけで。苦労してます。


1200 ワッチ交代。40~45ノット。だいぶ吹いている。


と、ここで、一番若いクルーは寝たきりになったもよう。かわいそうだから名前は出さないけど。元気にしてっか~?

1330 デッキに出てみると、マイッタゼ!!
海面はスプレーで真っ白、ワァーオ。
トライスルを揚げるのも難しいだろう。と言ってる間にメインブレイク!!
嫌でもトライスルを揚げる。
ボルトロープも通らないし、通ったら通ったでシートがペデスタルにからまってどうしようもない。ペデスタルがグラグラゆれている。今にももげそう。松尾さんが必死で外す。クランクしたとたんターニングブロックのスナッチブロックが吹っ飛んで糸賀さん顔にケガ、ダウン!!
風速67ノット。ワァー。台風だ!!



と、こんな状況でよくもまあ日記書いてるなあと思うけど。

状況を説明すると、
日本を出る前にマストを新調した。細めのマストでよりセールコントロールをしやすいように。
ところが、グルーブの径が微妙に違っていて、以前からあったストームトライスルのボルトロープよりわずかに狭くなっていた。
キツイところを無理してハリヤードで揚げている間に時間を食ってしまい、その間遊んでいたシートが強風で暴れペデスタルウインチのポストに絡まってしまったというわけ。

67ノットの風は暴力的だ。風になびいてばたばたさせてしまうと、近寄ることさえできないくらい。すぐに大きな玉状に絡まってしまい、そうなるとウインチで引くに引けず、絡まりを押さえ込もうにも大男がむしゃらに繰り出すパンチのようなもので……と、非常に危険な状況になってしまった。

なんとかほどいて処理したと思ったら、ウインチで巻き上げたとたんにターニングブロックが粉々に分解してその破片が糸賀さんの顔面を襲ったというわけ。片眼が腫れ上がり、救急車を呼びたいくらいの状況だ。

風はますます上がっていく。どうやらすぐ近くで台風が発生したもよう。
この時の海況をもう少し思い出して書いてみる。

風は「ビュービュー」ではなく、「バアアアアン」と塊で押しつけられるような感じ。
雨が降っていたかどうかは、実はよく覚えていない。絶え間なく波しぶきが襲ってくるので、雨と波しぶきの違いが解らないのだ。

波は、日記では「大ーきい」と書いてあるけど、波の大きさはあまり記憶に強くない。波の大きさに「怖さ」は感じなかった。
すべての波頭が砕けて波しぶきとして空中に充満しており、海面と空中の見分けが付きにくい。

この海況を乗り切る方法はいろいろあるのだろうが、この時ロバートが取ったのは、
ストームトライスルとエンジンを使って船を波に立てる
という方法だ。

その前の状況で正確な船位を確認できていなかったので、なるべく同じ場所に留まりたかったんだろうと思う。

ところが、波しぶきの勢いがすごくて、波の方向(風上)に向かって目を開けていられない。
そこで、ヘルムスマンの前に3人が後ろ向きに並んで立って波よけになり、その隙間から波を見ながら舵を当て、必要ならエンジンを吹かして波を乗り越える、という方法をとっていた。

日記によれば、

1530ごろ なんとかトライスルが上がる。これからはひたすら走るのみ。風上にむかって目を開けていられない。
3人が立ってヘルムスマンをガードしながらの走り。波はくせがあまりないが大ーきい。
「あ、ヤバイの来たぜ」とロバート。
ひたすら走る走る。


波よけの3人は後ろしか見えていないので、ヤバイ波が来るとヘルムスマンの合図に合わせて身構える。
船が波に突っ込むと、腰のあたりまでドドーっと海水が押し寄せてくる。

と、書くと凄そうだけど、寒くなかったので別に辛くはなかった。
艇長のロバートとしては「この走りでいいんだろうか?」とハラハラしていたのかもしれないけど。ワタシとしてはロバートのことを100%信頼していたので何の不安も無かった。ロバートが言うなら間違いないだろう、と。
でもまあ、今考えてみれば、20代の若造の集まりなんだけど。
苦労は若いときにしろってことですかね。

そのうち風が弱まってきたというか、こちらの方がその状況に慣れてきたんだと思うけど、ヘルムと波よけ1人を残して交代で休むことに。

やがて本当に風は落ち、それでも曇っている限り天測はできないので、グアムがどこにあるのかも良く解らない。しかし米海軍のレーダーで我々のことはずっと補足していてくれたようで、無線でグアムの方角も教えて貰い、グアム、アプラハーバー入港。
米海軍様。その節はありがとうございました。


追記1:
この時以来、出航前にストームトライスルやシートのリードの位置などは必ずチェックするようになった。いざとなると限られた動作しかできなくなるので物と心の準備は重要です。

追記2:
一番重要なのはスキッパーへの信頼、かな。
この時、糸賀さんは顔面パンチを食らってダウンしていたわけだけど、あの人ならいざ手が足りなくなったら片眼しか使えなくてもデッキに出てきただろうし。いや、実際すぐに復帰してきたし。何か顔にタオルを巻いた姿を自身でも気に入っていたようであった。

追記3:
「逆ジブ張ってティラーをめいっぱい切ってヒーブツー」なんて記述をよく見るけど、上記の状況でそんなことできるかな? と思う。
風の強さのみならず、海況や船の性格、風下側に陸地があるのか否か、などヨットが置かれた状況はすべて違う。対処の仕方も千差万別で、しかしそれぞれ1つの方法しか試すことができず。もっと良い方法があったのかもしれないし、遭難しなかったんだからそれが最良の方法だったともいえるし。遭難したからといって、別の方法ならもっと最悪だったかもしれないし。

荒天帆走の答えは永遠に出ないんじゃないかなと思う。
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by Takatsuki_K | 2010-07-13 14:01 | 外洋航海
JSAFの組織体系についてはどーも納得がいかないんだけど。その部分、JSAF内でも「なんとかしたいけどどうにもできない」事のようで……。

「ダブルハンドレースの魅力」については、
- 二人でヨットを操る楽しみ -
という部分も大きいのでは? というご指摘があり、確かになぁ。と思う。

自分としては、ダブルハンドレースには1度しか出たことがなく、それもレース中はなんだか夢中であっという間に終わってしまったのでよく覚えていないんだけど。
その前に、2人で小笠原から43ftのレース艇を回航してきた事があって、あれはかなり強烈な体験だったので改めて書いておこう。何度かいろんな所に書いてきたけど。改めて。

あれはいくつの時だったか、改めて調べてみたら、1988年。33歳の冬。まだ海童社を作る前のこと。
太平洋もぐるっと周り、ハワイ~日本の回航はすでに3回経験し。グアム~香港の回航もやったりして調子に乗っている頃のお話だ。

サイパンから3人乗りで東京湾を目指した我々は、まずは小笠原に寄港。ここでほぼ同時にサイパンを出たフランス人(一人乗り)と再会し、
日1「ここはまだ暖かいけどさ、真冬だよ。こっから先は一人じゃキツイぜ」
仏「やっぱり?」
日2「俺そっち乗ってってやろうか?」
仏「まじ? いいの?」
日3「いいんじゃねー」
と、ここで、我々は1人をそのフランス艇に貸すことに。
となると、こちらは43ft艇に2人乗りで、真冬の海を東京湾めざして北上することになった。海を舐めてたんですなぁ。

1月の終わりか2月の初旬だったと思うけど、とにかくこの時期は荒天続き。一端収まってもせいぜい1日で、その後冬型の気圧配置が強まり上りの強風がずーっと続く。
その後1991年の暮れには〈マリンマリン〉〈たか〉が遭難した大時化の海。そこを風に逆らって走り続けるわけで……。

小笠原でどんなに天候を見定めて出航しても、必ず時化に捕まるというわけ。この時も、小笠原を出て翌日にはもう時化ていたと思う。まだそれほど寒くはないからいいようなもののさらに風波は増すばかり。
「このまま走り続けるの、しんどいなぁ」
と思ったところで相方が、
「そういえば、こういう時、漁師は鳥島の風下に避難するって聞いたなぁ」
と言いだし、チャート見れば鳥島はすぐ近く。
「行ってみっか」
ということで鳥島を目指す。
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風下側からアプローチするのが得策か、と簡単に考えたのがまず最初の間違いで。
後で八丈島の漁師に聞いたら、この手の島の風下側では「千波が立つ」といって、逆に波風が一段と強くなる海域があるんだそうな。島の左右あるいは上空を回り込んだ風が再び合流する海域ということなんだろう。
我々はもろにその海域の中を走り続けてしまった。バカです。

その時はそんなこと知らないので、「ひでー時化だなぁ」と文句を言いつつ走り続けると、やがて島が見えてきた。
鳥島は、丸くて小高い小さな島で、入り江なぞは無い絶海の無人島だ。とりつく島もないというのはまさにこのこと。
wikiに写真があったのでちょいと拝借して貼り付けておこう。
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最初に目視できたのは夜明け頃だったと思う。遙か遠くに島影は見えるが、島の方から猛烈な風が吹いてくる。
俺「島の風下って、休めるような海況なんだろうなぁ」
相方「そう聞いたよ。あれ、青島だったかなぁ」
俺「……」
ちょっと心細くなる。
それでも走るしかない。

さらに島に近づくと、島影に2隻の漁船の姿が見えてきた。良かった、風下で避航できるようだ。
1隻は見慣れた日本の漁船。が、もう1隻はピンクの漁船である。後で聞いたら、台湾あたりからくる密漁船らしい。人影もなく不気味。

島陰は波穏やかでこれまで走ってきた海と比べたら天国だった。
さっそくアンカーを打ってみたが、急深なせいかアンカーが利かない。漁船はガッツリアンカーが利いているようで、漁師のおっさんはのんびり船縁で釣りをしている。休みの日でも釣りですか。

漁船の巨大な唐人アンカーが羨ましい。
と、怨めしげに見ていたら、
「後ろに捕まっていいぞ」
と声をかけてくれた。アリガタイことです。

ロープを渡し、アンカリングしている漁船の後ろに繋いでもらう。
ヤレヤレ一安心。
「さーてと、酒でも飲むか」
と思ったけれど、どーにも船が落ち着かない。

みなさん経験があると思うけど、ヨットというのはセールを挙げていない状態では、風圧のかかる中心は前の方にあるらしく、アンカーラインに引っ張られて真っ直ぐに留まってくれない。
普通にアンカーリングしていても8の字を描くようにバウが振れるでしょ。これはアンカーが利いている証拠。
船が傾いたままということは、走錨しているという知らせです。

で、荒天下の島の風下、風向は安定せず、そこにアンカーしている漁船の後ろにさらにぶら下がるという状況は極めて不安定になるようだ。結局ヨットは1回転してしまい、舫い索がラダーに絡まってしまった。

参ったのう。ラダー壊したら大変だ。
なんとか絡んだロープは外したものの、このままでは落ち着いて寝てもいられない。

そこで、漁船ぶら下がり作戦は中止とし、機走でゆっくりと流すことにした。

鳥島は標高394m。周囲6.5kmとあるから、直径は2kmくらいですか。
島の風下側で海岸線に沿って微速で走る。しばらく行くと側から回り込んできた風がビュワーっと吹き込んでくるので、そこでUターン。
しばらく行くと島の反対側でまたビュワー。で、Uターン。

まあ、これでも、一人はゆっくり寝ることができ、デッキにいても鼻歌交じりにワンカップ大関なんぞをチビチビやっていればいいので気楽なもんだ。

大時化とはいっても冬の季節風なんで、空は晴れ。夜になれば星が綺麗だ。
で、ビスタチオをポリポリ食べながら酒を飲み、
「いやー、極楽極楽。しかしまあ、無茶しすぎだな。こんなことしてたらそのうち死ぬな。今エンジン壊れたら最悪だろうしなぁ」との思いに至り、海に捨ててたビスタチオの殻をエンジンが吸い込んだらヤバイよなぁ、などと妄想が妄想を呼んだ話は前にどっかで書いたっけ?


翌日、夕方だったか。漁師のオッサンが、
「今がチャンスだぞ。今を逃したらしばらくまた時化続けるぞー」
と背中を押してくれ、鳥島を後にする。
見ればピンクの密漁船もいなくなっている。

まだ風は強かったけど、だいぶ横に回っていたので八丈島まではリーチングで爆走。気持ちよく航海できた。

さて、と、バッテリーをチャージしようと思ったらエンジンがかからない。エア抜きしてみたら、バルブから汚い燃料がゴホゴホ出てくるではないか。ナンダコレハ。
大急ぎで準備して鳥島を出たので、ポリタンから燃料を移し入れた相方が燃料タンクの蓋を閉め忘れたもよう。風下舷側にある給油口は、波が洗っている。

「あ-、蓋閉まってないじゃん」
「あれ? そうだっけ。しょーがないじゃん。忘れちゃったんだから」
と、反省の弁はまったくなく、もうこうなるとエア抜きもへったくれもなく、燃料タンクの中は大量の海水に満たされているもようで、なすすべ無し。

確かに「しょーがない」のも事実なので、なんとかセーリングで八丈島、神湊漁港に入港。コの字に入り組んだ港ゆえ、43ft艇を2人で操るのは結構大変だった。浮き桟橋ならいざしらず、小高い岸壁にしがみつき、釣りのオバサンに舫いを取ってもらう。
思えば、これまで、エンジントラブルの為に何度セーリング入港したことか。
まあなんですなぁ、いざとなったらセーリングで入港できるサイズのヨットに乗る、というのは結構重要な基準かも。

八丈島での燃料タンク修理の時間は楽しかった。良い島です。クサヤ美味いし。
相方は、
「クサヤばっか食べてるから、うんこがクサヤ臭くなった」
とぼやいていたが。それは、クサヤがうんこ臭いんだろう、と。

修理を終え、一端出港するも、すぐにまたエンジンがかからなくなり再び八丈島に戻り、完全に燃料タンクを外して洗浄するなどけっこうな大工事の末に八丈島を後にする。

八丈島から東京湾はなんてことなく。
で、東京湾に入ったら猛吹雪だ。
もう後は無いので、とにかく走る。
東京湾ってバカにするけど、時化ると結構キツイんですよね。
横殴りの雪で目を開けていられないので水中めがねでガードし毛布にくるまり舵を持つという極限状態のセーリング。つーか、バカ状態というか。
いよいよ吹雪がひどくなり、自艇のマストもよく見えなくなってきた、と思ったら、水中めがねが曇っていた。


東京湾マリーナに着いて、健康ランド行ったの覚えているなぁ。あれが初めての健康ランド体験か。いやー、いいなぁ健康ランド。

この後、91年の1月にも、グアム~小網代の回航やったけど(懲りない男)、この時は4人。大変といえば大変だけど、まあ、なんてことない。
やっぱ2人乗りってのはドラマチックなんだなぁ、と思う。
と、同時に、
こんな無茶しているとそのうち死ぬな、とも思った航海だった。


追伸1:
小笠原で分かれたフランス艇は、我々が鳥島や八丈島で時間を潰している間も走り続け、黒潮に流されて銚子の方まで行ってしまい、バルクヘッドにヒビが入るなど壮絶な航海を続けて同じくらいに東京湾に着いたんだったか。

追伸2:
八丈島の岩場にいた釣り客が、
「ヨットが波の合間に消えた」
として、保安庁に届け出たそうで、捜索騒ぎで島は大変なことになっていたらしい。
いや、ワタシら、良い調子で走っていたんですけど。
そういや上空を飛行機が旋回していたっけなぁ。

こういうのも、無線があればねぇ。
そうだ、このときは小笠原の海上保安庁に、無線機のフューズを外されちゃったんだった。
携帯電話も無い時代のお話です。

追伸3:
2002年に火山が噴火し、一時は航行警報がでていたもよう。
避航の際は、お気を付けください。
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by Takatsuki_K | 2010-07-06 17:20 | 外洋航海