ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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<   2011年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

写真は、先のロイヤルランカウイレガッタでのワンショット。エスメラルダの植松オーナー(左)と、Jelikのフランク・ポンオーナー(右)。
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後ろに写っているのがライケル/ピューの76ft〈Jelik3〉。
Jelikとは中国語で書くと「自力」。よく見ると後ろのステアリングペデスタルに書いてありますね。

これは、「ヨットも自力でやる」という意味なんだそうで、もちろんオーナーヘルム。
かつては、イギリス人、オーストラリア人のプロセーラーを大勢乗せていたようですが、ある日突然全員クビにしたらしい。ヤイのヤイの言われたくない、後は自分でやりたい、ということのようです。

で、今はクルーも全員中国人。あ、いや、香港の方なので香港人といったらいいか。このあたり、中華人民共和国ができる以前から多くの人達が移民しており、この人達を中国人と呼んでいいものか。英語なら"チャイニーズ"だから日本語にすれば志那人か。漢字の志那はまずい? なら「シナ人」? 
実際、マレーシア語では「チナ」。「テ・チナ」で中国茶。中国人は「オラン・チナ」。
やっぱ、「シナ人」でいいのか? めんどくさいからやっぱ「チャイニーズ」でいいか。

あ、話は横道にそれました。
ポンオーナーは、マレーシア生まれのチャイニーズ・マレーシアンであるティファニー・クー(初代マレーシア・マッチレースチャンピオン)とジェラミー・クー(現在のマレーシア・チャンピオン)の兄妹も香港に呼びつけチームに入れており、ようするにアジア人だけでやりたいということですか。

まあ、今では、国籍とか人種とかは複雑で、「何人(なに人?)」と聞いても、
「イギリスのパスポートを持っているけど、アフリカ生まれでイギリスで暮らしたことはない」なんて人がゴロゴロしているし、パスポートを2つも3つも持って使い分けている人もいるし……というのが、今の世界の状況でもあるわけで、〈Jelik〉の場合も、どう「自力」なのかはよく分からないのですが。

このオーナーは他にTP52の〈Jelik5〉も所有しているのですが、こちらは中国政府に寄附したんだそうな。中国政府というか中国の体育協会ですか。
で、運営費はポンオーナー持ちで、中国人の若者を乗せて活動しています。こちらは中華人民共和国の人達。中国本省人ということですね。

さすがにいきなりTP52を動かす力はないので、今回はヘルムをティファニー・クーが担当。タクティシャン兼コーチとして、なんとかいうオーストラリアの若者も一人乗艇していました。

なんでそこまで、とも思うのですが、ポンオーナーは中華人民共和国に対し鉄を売る商売をしているんだそうで、この活動が商売にも多いにプラスになるんだろうねぇとの声も聞かれますが、とにかくこのオーナーがヨット好きでヨットを広めていきたいと活動しているのは確か。

同時に、香港マネーがアジアのヨット界を支えているといってもいいのかと。
そして、経済力というのは大きな所得格差によって生じるんじゃなかろうかと思い至る今日この頃でもあります。

さてそれでは、日本の経済はこの先どうなるのか?
なんてことまで考えてしまう、東南アジアのヨッティングシーンであります。
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by Takatsuki_K | 2011-01-25 10:59 | ヨットレースを考える
旧知の日本艇〈エスメラルダ〉の植松オーナーが現地艇をチャーターしての出場です。
ワタシはこの時期ちょうどベトナムへ夫婦旅行の予定でチケット買ってあったんだけど、チャーター艇はワタシが紹介したので、やっぱ乗らない訳にはいかないですよね。

ということで、1月8日に自宅を出、飛行機で1時間のランカウイ島へ。
オーナーと二人で準備を進め、9日(日曜日)には日本からオーナー以下4人のクルーが到着。マレーシア人のクルー1人を加えて、10日、11日と練習。12日からいよいよレガッタ開催です。
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メンバーは、
ヘルム     植松
ナビゲーター  ビンセント
タクティシャン 久米
トリマー    吉田
        シン・ユウ
ピット     高槻
マスト     平井
バウ      三島

良いメンバーだなぁと思いつつプラクティスレースを終えたものの、大会は終始風が弱く風向も定まらず。
運営側がこれに対応できないので、もうオタオタの連続。

11月のラジャムダ・セランゴール・レガッタと12月にタイで行われるキングズ・カップはジェリー・ローリンズというオーストラリア人の仕切で評判はいいようですが、こちらはどうも……。
選手一同不満ブーブー。
まずは初っぱな、コース短縮の手順が正しくないということで抗議も出てたし。なんだかやたらと無線を使うんですよね。スタート前に「XXXとXXXはラインオーバーしているぞ」とか、コミティーが無線で言いますかね? リコールじゃなくて、スタートの前に注意ですよ。

そのうちに、参加艇側からレース中に「コース短縮になるんですか? どーぞ」なんて無線で問いかける艇が出てきて、それに対して「短縮はしません」と答えちゃったり。で、実際は短縮されて、それも、マークボートにS旗が積んでいなかったのか、代わりにC旗揚げたりして。でも無線で「コース短縮です」と広報したり。初日にそういうので抗議出されているのに……。

こうなるともう、参加艇側ではコミティーのやることなすことに不信感が募り、風待ちでハーバー待機になっても「結構風あるじゃん。なんでやらねーの?」などと文句も出るわけで。海上待機の間にも無線で、「湾の外でやれば風はあるんじゃないのか? 参加艇の意見も聞いてみたらどうですか? どーぞ」などと問いかけがあり、直後に「こちらXXX。外に出る案に賛成」「こちらZZZ。うちも湾外がいいと思う」などと参加艇側は一致団結。となると運営側は余計意固地になって湾内固着。
そのわりには、マークボートからの風向風速の連絡などは一度も聞かなかったし。
で、さんざんウダウダした後でスタートさせるもんだから、ちょうど風が落ちて海風に入れ替わるタイミングでレースさせちゃったりして。さらに不信感は募る。
もう無茶苦茶。

いや、確かに例年に比べて弱く安定しない風で運営は難しいんだろうけど。
思い出すのは何年か前に和歌山で行われたJ24全日本選手権。今回以上に風弱く安定しない難しいコンディションだったのですが、鈴木國央レース委員長の見事な判断と采配でキッチリ選手権は成立したっけなぁ。

レースの運営は難しいですよね。

で、最終日は良い風吹いているのに、片上りで行ってスピンリーチングで戻ってくるという戦略性ゼロなブイ周りレースを、それも1日3本。これで「今日は3本もレースやったぞ」とドヤ顔(得意顔のことをこう称するらしい)されても。
マークはカミシモに打ちましょう。
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それでもキッチリ順位は出るわけで、ワタシら日本からの初出場〈エスメラルダ〉チームは、5艇中最下位。
なんか、悔しい気持ちも起きず。残念感100%といったらいいのか。ヨットレースをやったという感じがしない。

でも、植松オーナーとチャーター艇〈マタハリ〉のビンセント・チャンオーナーはえらく気があったようで、今年8月に日本で行われる予定のレースにはチャーター艇で出るか出ないかとか、なんか盛り上がっていました。

こういう交流が広がるってのも、海外レースの面白みなのかも。

いずれにしても、ここマレーシアでは、ヨットレースのなんたるかを原点に戻って感じることしきり。
なのであります。

                                       photo by うちのカミさん
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by Takatsuki_K | 2011-01-18 12:31 | ヨットレースを考える

色あせた航海日誌

あけましておめでとうございます。

昨年は毎週火曜日にブログ更新すると心に決め、やってはみたものの、締め切り作るとこれがまた結構キツイ。
今年は辞めと思ったんだけど、改めて読み返してみると、やっぱりこういうの書き続けるというのは自分の為にも良いものだなぁと思う。

でもって、過去を振り返るシリーズ。
……の続き。

20代後半はやたらとヨットで走り回っていたわけだけど、その頃はきちんと日記をつけていた。
あの頃、デジタルカメラなんて無かったし、たしか自分でカメラも持って行ってない。
日記だけが記憶を残す手段だったわけ。
こういうのも、なかなかいいもんだ。

いやしかしまあ、字が汚い。
あ、これ、今でもそうですけど。ワープロがあるからごまかせているだけ。
で、絵も描いてある。
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これはニュージーランド。最初入港したベイオブアイランド。
そう、この後ニュージーランドとは深く関わることになるわけだけど、初めて行ったのがこのとき。シドニーからロードハウ島を経て12日間かかっている。
マックスさんという……スイス人だったっけ?……がいきなりやって来て乗せてくれといいだし、ニュージーランドまで同乗させることに。この人、航海中はずっと寝たきりだったもよう。


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航海途中は絵も手抜きです。揺れてるし。
でも、描かずにはいられなかったもよう。
これでもまだ写真よりいいかな? やっぱ写真か?


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そしてラロトンガ島へ。
聞いたこと無いという方も多いかと思うけど、この後大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』という映画のロケがこの島で行われる。
wikiの『戦場のメリークリスマス』の項では「トンガ諸島での撮影で……」とあるが、ラロトンガはクック諸島。有名なトンガ王国とはまた別。もっと田舎です。

田舎は田舎の良いところがあって、当時は「失われた昔のタヒチの面影を残す島」といわれ、是非立ち寄るべきとニュージーランドで言われたらしい。

実際、週末のバーではタヒチアンダンスが行われ、いやこれ、タヒチアンダンスショーじゃなくて客がダンスを踊るのです。ハゲシク腰を振るデンデケデン、あれを客が踊る。

ポリネシアでは太古より「海から来た旅人は村の娘が体で接待する」という決まりになっているらしい。
そんな風情を残す島。
で、
『戦メリ』撮影中にカメラマンが行方不明になり、しかし大島監督はさして捜索もせずに帰国してしまい、責任を問い詰める芸能レポーターに、
「島の娘と芋でも掘って暮らしているんでしょう」と平然としていたけど、あの島の娘の雰囲気からすると頷ける。そんな島です。

今は知りませんよ。30年近く前の話だから、これ。


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そして、フレンチポリネシアはボラボラ島へ。
こちらは有名な珊瑚礁の島。
有名なだけあって、たいそう綺麗な島だった。


この後フアヒネ、モーレア、タヒチを経てハワイまで行き、レースやって、最後は日本まで走り、1年ぶりに船を降り横浜の実家に転がり込む。
家でブラブラしていたとき、たまたまテレビでやっていたディズニーの映画『ピーターパン』で、まさにこのイラストそのもの──月に照らされて入り江にたたずむ海賊船──のシーンがあった。

それを見て、ピーターパンの夢物語から現実世界に帰ってきたんだなぁと実感した。
あれは夢だったのかなぁ、と。


日記つけるのって、いいですよね。
デジカメ画像もいいけど、こうして色あせた日記帳の文字や絵の方が、本人にとっては実感よみがえるかも。
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by Takatsuki_K | 2011-01-04 09:44 | 個人的な話