ヨットの事を考える評議会


by Takatsuki_K
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いえね、こっちに来てから知り合った日本人のヨットオーナー夫妻から聞いたんですけど、フランスに遠征に行ったとき、レース後のパーティーではお国自慢の歌を歌うんだそうな。で、日本人も歌えと。で、歌った、と。

さて、こんな時、何を歌えばいいのか? カラオケなんて無いわけで、手拍子でワイワイ盛り上げるような、景気の良い歌。

学生時代にはいろいろありましたよね。
『学生節』なんてのもあったなぁ。

まずは重々しく前口上が、
風紀名門の子女に恋スルを純情の恋と誰が言う
 オーッス!!
巷に彷徨う女性に恋スルを不浄の恋と誰が言う
 オーッス!!

……等とあって、続けて放歌が始まる。
天下に大学数あれど~こりゃ、数ある中のその中でっ!
 あ、ヨイショ!!

……てな感じの盛り上がりが、大型艇の世界でも必要なんじゃなかろうかと、思ったわけなんですよ。
各チーム伝統の持ち歌なんかあったら、表彰式で盛り上がりますよ。

まあ学生時代に歌っていたのはほとんどがシモネタなんだけど、中には『キンタマの七不思議』のように下品な中にも音楽性を高めたような楽曲もあり……って知りません? 『キンタマの七不思議』。
ドミソの和音で、
キンタマ~
キンタマ~
キンタマ~

 ……と3つのグループに分けてハモり、以下、
の七不思議~!
と大合唱に突入するという、勢いのある春歌。

これなんか、外国ではうけるだろうなぁ。意味分かんないだろうし。で、意味を伝えたらまた受けるかもしんないし。

大型艇の世界でも〈サンバード〉チームなんか、さすが伝統を誇るだけあって、ちゃんとチームの持ち歌がありました。替え歌だけど、『クランクマンえれじー』は、「私祈ってます~」……って曲なんだけ? あれのメロディーで、
強く巻かなきゃダメなの
ショート~タックは~涙が出るのよ~
スピンランになるのを~私祈ってます~

と、グラインダーを巻くポーズでグラインダーマンの悲哀を歌い上げるというアクションを伴った楽曲で、シドニーホバートレースのフィニッシュ後に舞台に上がって全員でこれ歌ってました。振り付けがあるから外人が見てもウケるわけ。
これが伝統というものか。

新参者のワタシとしても、その後新曲を発表。『嵐を呼ぶ男』のメロディーで、
オイラはヨットマン
ヤクザなヨットマン
オイラが走れば嵐を呼ぶぜ
ちょいとジャイブにしくじれば
ブームパンチでぶっとぶぜ

 この野郎、かかって来い!
 ワンポン、ツーポン
 ほらジブ交換だ
 えーい面倒だ、ベアポールでぃ


とか、そういえば、石原裕次郎さんの前でも歌ってたかなぁ。ご本人の前で替え歌にしちゃうのって、かなり失礼な事だったのかも。周りが誰も止めなかったからいいのか? 大物はそんなことでは怒らないのかな。


まずはチームに伝統を作らなければならないんだろうけど、先にテーマソングを作っちゃえば、2~3年でも伝統ははぐくまれるのかも。

目指せ! 一芸あるチーム。
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by Takatsuki_K | 2011-04-26 10:42 | ヨットレースを考える

空気が読めない男

なんか最近空気が読めないんですよね。震災後の日本の空気が。
東北方面が大変な難儀であることは想像に難くないんだけど、じゃあ東京近郊はどうなのか? 相模湾のセーリングシーンはどんな空気なのかなぁ?
そもそも、なんでここに来て管政権の支持率が上がるのか。さっぱり分からんです。
今いったい、日本にはどういう空気が流れているんですかね?

と、深く考えずに、今日は朝からカミさんと2人でヨガ。
彼女、ヨガの先生のトレーニングを受け、晴れて免許皆伝……なのかどうかよく分かんないけど、まずはワタシが実験台で。

しかしなんだなぁ、日本だとたとえカミさんがヨガのインストラクターでも、自宅で2人並んでヨガやるようなスペースはなかなか無いよなぁ。その点マレーシアは暮らしやすいなぁなんて思いつつ瞑想。
いや、リスクも結構多いんですよ。停電なんて良くある話だし。丸1日停電でも、新聞にも載りはしない。いや、丸1日停電はさすがに珍しいんだけど。
ブルース・ウイルス似のオッサンと二人でエレベーターに閉じ込められたこともあったなぁ。ドアは空いたんだけど、フロアの中間に止まっていて、その隙間から降りるべきか迷った。乗り越える瞬間にガクンと動いたらヤバイもんね。
なんたって、一緒にいるのブルース・ウイルスだから。次から次へと危機に直面しそうで。

水道水は飲めないもの、と最初から決まっておりまして。まあ、水道水が飲める街の方が少ないとは思うけど、こちらの場合、直ちに健康に影響が出るたぐいの物質が混入している可能性も高く、我が家では本管部分にはダイビングのタンクを倍くらいの長さにしたような巨大なフィルターが付いていて、これで一次浄化して生活水に。さらにこれに逆浸透膜浄水器を接続して飲料にしております。純水です。
ま、停電になったら浄水器は動かないんですけどね。

生活するにあたってのリスクなんていろいろありますからね。
世界各地の70億人は、どうにか折り合いをつけて暮らしているというわけで。

……で、管政権って、後2年も続けるの?
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by Takatsuki_K | 2011-04-19 18:55 | 個人的な話

氷の寿命

『KAZI』2011年4月号の「よろず相談所」記事を書かせていただきました。
テーマは、食料の備蓄。
クルージングと一言でいっても長短さまざまあり、話が絞りにくいのですが、ここでは「連休をフネで過ごす場合の……」ということでした。
まあ、連休クルージングだと、夕食は陸に上がって地元のお店で海の幸を堪能ってことになるんだろうから、フネで食べる食事はオマケなのかな? いや、走るフネの上で飲み食いするのもまた楽しいですよね。

そういや昔、太平洋横断中に氷が1週間くらい保ってえらく重宝したなぁと思い出したんだけど、はて、何日保ったんだっけ? 記事にするなら正確に書かないとと思い、航海日誌を探したんだけどこの時の航海のものは見つからず、書くのをあきらめました。

その後、というか3日ほど前に、自宅でヨガをやっていて、グリーっと体を伸ばしたときに目の前の本箱を見、おや?と気づいた1冊のノート。おっとこれは……。突然そのときの航海日誌が出てきたわけで……。

    ※   ※   ※

1991年。4回目のハワイ→日本の航海で、スワン59という豪華なクルージング艇。日記を見ても、準備の段階から余裕ですね。

買い出しは細かなリストなんぞ作らず、メモを元に量は勘で。もう毎年のようにこのコースを走っていたので、だいたい想像がつく。
コツは1度ですべて終わらせようとしないこと。何度かに分けて、買ってきたものを艇内に整理していきながら、足りない物をメモしまた買いに行くと。
帰着後食料が大量に余るとヨットを降りた後もそれを食べなきゃならなくなるので、量は必要最小限に留めてますね。
ま、ケチってことか?

……と、食料の積み込みは慣れたものだったのですが、この艇には立派な冷蔵庫と冷凍庫がついていたんです。なんたってスワン59ですから。
さて、どうするか。初の試みとして、冷凍食品なんか買い込んでみちゃう? と悩んだ末に、このてのものは信用しないことにしました。
といっても完全に無視するのももったいないので、冷凍庫には氷を大量に詰め込んでいくことに。アイスキューブというんですか、そのままコップに入れられるサイズのやつ。アメリカだと、枕くらいの大きさのでっかいビニール袋に入って売ってますよね。あれ。あれを冷凍庫に入るだけ詰め込んで、いざ出港。

6/22 1030 ハワイ ケイヒラグーン出港 -------------
長距離航海では、夕食は全員揃って食べ、食べ終わったらワッチ交代することにしています。その時、ぬるいビール(ぬるビーと呼ぶ)をありがたく飲んでいたわけですが、今回はここで氷入りのカクテルを飲むなんて、なんたる贅沢。

ところが……。

6/24 フリーザー壊れる -----------------------------
なんだよまったく。2日でこれか。
やっぱり冷凍庫なんて信用しなくて良かった。
まあ、氷が溶けるまでカクテルを楽しもう。
ということで、航海日誌を見ると、オリーブ入りのマティーニだとか、タバスコ生ライム入りのブラッディマリーだとか、なんかいろいろ材料を買い込んであったようで、おまえらマジメにフネ走らせろよ、という感じ。トロピカルドリンクなんて流行っていたの、この頃だったっけ?

その後、

6/27 パンはあまり長持ちしない。もうかなりカビがはえてしまった。氷はまだ元気がいい。---

なんて記述があり、

7/1 日付変更線通過 --------------------------------

そして、
7/4 とうとう氷が完全に無くなった ------------------

出港から12日めですね。冷凍庫が壊れてから10日ということですか。

そしてその後、

7/15 0840 小笠原 二見港入港 ---------------------
 ハワイ→小笠原 22日間の航海ということになりますな。
 そのうち、12日間は氷入りのカクテルを楽しめた、と。

7/17 0530 二見港出港 -----------------------------

7/21 0040 淡輪入港 -------------------------------

めでたしめでたし。

いわゆる角氷ではなく1つ1つが小さなキューブアイスですが、たんなるアイスボックスではなく冷凍庫に入れて、出港時には冷凍庫自体が完全に冷凍状態にあったからゆえの長持ちだとは思いますが。

それにしても12日間、貿易風に吹かれ気絶するほど美しい夕陽に包まれて氷が入ったカクテルが飲めるなんて。
と、同時に、長距離航海では、冷蔵庫、冷凍庫に期待してはいけないということか。まあ、冷蔵庫なんかなくてもどうにかなりますね。

但し、長距離航海というより長期間航海──つまり、ヨットの上で生活するような場合、やっぱり冷蔵庫はなくてはならない強い味方です。

ワタシとしても、この後、ニュージーランドでタウンソン34という古い木造艇で生活していたわけですが、中古で買ったときから付いていた冷蔵庫はきわめて有用でした。
1993年から2000年まで7年間乗っていましたが、途中一度もトラブル無し。朝夕20分ほどバッテリーチャージでエンジン回すわけですが、この時に冷蔵庫用のコンプレッサーも繋げばOK。
密閉容器に水を薄く張りちょっと長めにコンプレッサー回せば氷もできる。他のものも氷ってしまうことがあるので、ちょっとコツがいりますけど。
こうして手塩にかけて作った貴重な氷を入れて飲むカクテルがまた、良いんだなぁ。ヨットの上の氷って、ありがた~いものですよね。
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by Takatsuki_K | 2011-04-12 10:47 | 外洋航海

北の国から、ヨット界

テレビドラマ、『北の国から』を見た。
何を今更? と思うかもしれないけど、これまで一度も見たこと無かったんです。話題になっていたのでその存在を知ってはいたんだけど。
それが今になって、ひょんなことから見始めたら、連続ドラマから特番と、『2002遺言』まで全部見ちゃった。

物語の発端は1981年。東京での暮らしに疲れた黒板五郎(田中邦衛)が、幼い子供2人を連れて、故郷である北海道富良野の山の中で生活を始めるところから始まる。
電気も水道も無い粗末な小屋での生活に都会生まれの子供達が戸惑う様子から、都会暮らしに憧れる田舎の人、でも都会の暮らしには溶け込めない。田舎の暮らしと都会の暮らしの違いなんかが大げさに描かれているけど、はて、どうなんだろう?

ワタシ、1955年の東京生まれ。小学校に上がるまでは品川で育ち、横浜の新興住宅街に引っ越した。
まあ、このドラマでいうなら都会育ちってことになるんだろうけど、東急東横線日吉駅から歩いて15分位の地域に於ける1960年代というとまだ周りには畑がいっぱいあって、小学校へ通う道沿いには肥だめもあった。木の棒を突っ込んでは振り回したりして遊んでいた。
近所に牧場もあり、牛舎の隣に何故か卓球台があって無料で使わせてくれるのでよく卓球しに行っていたっけ。
中学への通学路は途中一面の田んぼで、理科の授業でカエルの解剖をやるからといって、班ごとに1匹捕まえてこいなんて言われていたくらい。と、まあ結構な田舎暮らしなわけです。

ここらに住んで東京に通っているわけだから、都会人なんていってもたかが知れてるわけで。富良野の人が卑屈になることはないと思うんだけど、『北の国から』での五郎さんは、東京で知り合ったいしだあゆみが部屋でスパゲッティー・バジリコを作ってくれた事にたいそう感動していた。
でもこれ1970年代中頃ってことでしょ。バジリコなんて、東京でもかなりハイカラな物だったはず。渋谷の高校に通う当時のワタシでも、そんなもの知らなかったと思う。キャンディーズのスーちゃんが部屋で作ってくれたら、やっぱりたいそう感動したかも。
五郎さん、卑屈になることないんです。

逆に、この頃はすでに自然回帰の風潮があったんじゃなかろうか。
背伸びして気取っていた都会人が田舎の生活に憧れだした時代。だから、このドラマが始まったんだろうし。
ワタシもこの頃はキャンピングカー風に改造したバンに住み、日本全国さすらいの生活をしていた。五郎さんの山小屋から比べるとずいぶんと便利で方向性は全く逆なのかもしれないけど、根底に流れる発想は同じだったのかもしれない。

倉本聰のドラマってやたらと浮気や不倫や離婚でドロドロした男女関係が出てくるのでちょっとうんざりするけれど、思い起こせば80年代ってそんな時代だったっけ。とはいえ、なんだか知らないけど娘が都会に出ると水商売につき、やたらと風俗嬢やAV女優に落ちぶれてしまうというのはどうだろう。そんなんばっかじゃないよねぇ。ホントにそうなのか? いやそうなのか。

……と、どうも『北の国から』の田舎感/都会感とはワタシ感覚が合わないなぁ、と感じながらも最後まで見てしまったのは、富良野の開拓者達の姿がヨット界のそれにダブって見えたから。

北海道が良い良いなんていう都会の娘が牧場生活に憧れて富良野に来ても、結局続かずに帰ってしまうと嘆いているシーンがあったけど、そうなんですよね、ヨットに憧れる人はいっぱいいても、実際やってみると結構キツくてなかなか続かない。

加えて、村にはそれぞれナワバリ意識みたいのもあって、都会から来た者を拒むようなところもある。その分仲間の結束は固く、葬式なんかあった日にはパッと集まって自然としきり役が出てきて作業分担も手際がいい。
あー、似てるなぁ。

ワタシなんかはドラマでいえば草太にいちゃん(岩城滉一)の世代になるのかな。この世代はもうすでに先駆者が開拓してくれた後をなぞっていればいいんであって、清吉おじさん(大滝秀治)や笠松のとっつあん(大友柳太朗)らのような開拓者世代は、そりゃもう大変だったんだろうなぁ。
日本のヨット界も、開拓世代は大変だったと思う。日本にはまだ物も情報もなく、手探りでヨットを始め普及させていった世代。外国に行かないと最新の情報は入らないなんてことだってあったはず。
ヨットが欲しいならまずデザイナーと連絡をとって一緒に造船所に行く。完成するまでオーナー自ら造船所に通うなんて時代。
ウインチが無いなら造っちゃおうと、国産のウインチもあったんですよ。ASAHIのウインチ。

マリーナだって少なくて係留場所を確保するのがまず一苦労。修理業者も今より全然少なくて、大抵のことは自分でやらなければならず。それが高じてそのまま業者になっちゃった人もいるわけで。

と、開拓者世代はさぞや大変だったろうなぁと思うと同時に、趣味の世界だから清吉おじさん達と違って生活がかかっている訳ではない。食うや食わずって訳じゃない。結構楽しい苦労だったのかもしれないなぁ等と、日本の30年前位を彷彿とさせるここマレーシアのヨット界にいると感じる訳です。
開拓するぞー。

日本でも大震災を受けて、特に関東から東のプレジャーボート界にとってはこの先再び開拓時代のような苦労が待っているのかもしれず、しかしその苦労を楽しむ余裕があればいいけどなぁと、ちょっと想像してみるわけなんです。
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by Takatsuki_K | 2011-04-05 20:24 | 個人的な話